いらない子
この世に“いらない子”なんて、いないのです。
『わたしは、いらない子』
『わたしは、必要のない子』
『わたしは、存在していてもいいのだろうか』
そんな風に感じているかた。
とても、つらいね。
とても、悲しいね。
『はないちもんめ』
“あのこがほしい
あのこじゃ、わからん
相談しよう、そうしよう”
相談するまでもなく「あのこがほしい!」と言ってくれる人が現れないかと、切に望んでいることが、わたしには、それはそれは長いこと、ありました。
だから、気持ちはわかります。
じぶんが“いらない子”と感じる方は、その中で学ぶことがあるのです。
同時に、他者が“いらない子”と感じる方は、その中で学ぶことがあるのです。
どんな学びがあるのかは、人それぞれですけどね。
意味があるのですよ。そのように感じさせられている、意味が。
つまり、『存在する意味がある』のです。
※詳しくは『あたりまえの奇跡~なぜ生まれてきたの~』をお読みください。
ほんの一例、ですけど、ね。あくまでも、たとえ、ですけどね。
『じぶんが“いらない”と思われていても、思いやりや愛をかけられるか』
『じぶんが“いらない”とされる中で、こころを保ち、強く生きれるか』
『なぜ“いらない”と感じてしまうのか』
『過去のトラウマや負の感情に気付き、乗り越えるため』
とかとか...。
学びが終われば、すぐに次のステージに移れます。
そして、学びが終わろうと終わらなかろうと、あなたの存在する場所は、良くも悪くも変化します。
常がない、無常の世だからです。
変化するなんて信じられない?
「5歳が楽しかったから、5歳のままでいたい」
といったところで、いられなかったでしょう?
5歳のままでいられるのは、永遠の5歳チコちゃん、くらいです。
楽しいことも、悲しいことも、過ぎて、変化していくのです。
この世において、ほんとうに“いらないこ”は、存在できないのです。
天に召されます。
『この世での学びがおわった』
『この世での役目がおわった』
この世においての“いらないこ”とは、そういったひとなのです。
“道半ばで...”という人でさえも、この世の人間的に“なかば”と捉えているだけ。
今世ではここまで、あとは来世で学んだ方がいいから、とか、人間には分からない理由があります。
『天の計画』
『生まれる前に自分が計画した』
とおりに、実行されているだけなのです。
忘れてしまってるけどね!笑
あなたは
“いらない子”なんかじゃない
“ひつような子”
とても“たいせつな子”
なのです
いまいる世界が
すべてではないですよ
ちゃんと変化するから
いま感じている“かなしみ”に
囚われないで
どうか
どうか
生きてください
生ききってください