与えよ さらば 与えられん
多くの方がご存知の言葉です。
この意味も、もうご存知ですね?
『愛を与えれば、愛が返ってくるよ』
『自分がほしいものを人に与えれば、自分に返ってくるよ』
このような良い意味が浸透していますが、逆もまた然り、なのです。
精神世界では、『純粋なこころから発せられるもの』が、ポイントです。
自分がほしいから行うのでは、あくまでも“じぶんのため”の行動。
自分の為に行ったことは、自分で完結しているから、返ってはこない。
こころから行った他者への善意が、“結果的に”巡り巡って返ってくる。
それは同時にーーー、こころから行った他者への悪意が、“結果的に”巡り巡って返ってくる、ということです。
『与えよ さらば 与えられん』
この言葉で、理解しにくい方、イメージしにくい方は、日本でなじみのある言葉で考えてみてください。
『自業自得』『因果応報』というではありませんか!
これらの四字熟語は、どちらかというと、悪い行為に使われることが多いですが、“自分がした行いが自分にかえってくる”という、仏教用語からきているそうです。
“善い”も“悪い”もあるのです。
『自分から発せられたものは、自分にかえってくる』
よくブーメランに例えられますよね。
善意であれば...?
やさしく投げたブーメランが、いつか ほわっ と、もどってくる。
悪意であれば...?
怒りをぶつけたブーメランが、ふいに グサッ と、もどってくるのです。いたいやねぇ、きずつくねぇ。
さて、ひとから悪意を投げられたら、あなたは、どうしていますか?
“コンニャロ~~~!”って投げ返してる?
“いたいよ~、傷ついたよ~”って泣いてる?
“他の人も同じ目に合わせてやる~”って、八つ当たりしてる?
いちばん良い対処方法は、なんだと思いますか?
それはですね.....。
ブーメランは『まともに受けとらなければいい』のです。
あ~、なんて簡単なんだ! 書くのは、ね!笑
なぜなら、ブーメランは投げた相手に戻ります。
なんてったって、ブーメランだからさ~。
じぶんに向かってきたブーメランを、さっとかわして、「なんか、いま通りすぎた?」くらいにして、投げた本人に対処してもらいましょう~。
『自分が蒔いた種は、自分で刈り取ってもらう』
これが、一番いいとおもうんですよね。
さてさて。
そう思いながらも、出来ないことだってあります。
もしも、グサッっとまともに受け止めてしまったなら?
さぁ、どうしましょうか?
そんなときは...、あなたのところで『捨てちゃって(水に流す)』ください。
え? イヤだ?
やりかえしたい?
受けたものを投げた人や他の人に渡してしまうと(怒りを怒りで返す、やつあたり)、また、あなたにもどってきちゃいますけど...。
それでもいいのかな?
イヤだから投げたのに、もどってきたら、相当イヤじゃないですか?
もう、お気付きのことでしょう。
そうなんです!
この世は『して、されて』が、繰り返されてしまう世界なのです。
『悪意の循環』は、自分で終わらせてしまいませんか?
自分が味わったことを、他の人にも味あわせたい?
どうせ人々と味わうのなら、『やさしさの循環』にしませんか?
やさしいこころを
渡して
やさしいこころを
受けとる
やさしいこころは
ひとを
癒してくれる
やさしいこころは
ひとを
しあわせにしてくれる
あなたは
それを
知っていますよ