聞いてほしかっただけ

「話を聞いてもらってスッキリした」そのようにおっしゃる方も多いです。

 

この体験談は、「じぶんに似てる!」と感じるひとや、「周りにこんな人いる!」と感じるひとがいるのではないかな?

人間関係を良好にする一助になれば、幸いです。

 

若い頃、友人の悩み相談、愚痴を聞くことが多かったのですが、その中で、ひとりの友人が言った言葉。
「あのね、聞いてほしかっただけなんだ」
これを言われたとき、衝撃が走りました。

 

友人の話を聞く時、「そうかぁ、それはツラいだろう」のあと。
「そんな不愉快な状況に身をおきたくはないだろう。話を聞いた以上は、なんとか友人を救いたい。友人のためにじぶんが出来ることは、なんだろう?どうしたら友人が良い状況になるだろう?」
解決策をそれはそれは必死に考えて
「こう考えてみたら、どうかな?」
「こんなことしてみたら、どうかな?」
と、提案していたのです。

そのときに言われたのが、「聞いてほしかっただけ」。

 

『何が原因でこんな事が起こっているのか』
『なにが自分をイヤな気持ちにさせているのか』
『どうしたら解決できるのか』

幼い頃から、なにか不愉快なことが起こるたびに、そんなことを考えていました。

ひとに悩みを打ち明けるときは、
『じぶんでは思いつかない解決法があるのではないか』
『じぶんの考え方が間違っているのではないか』
そうおもってのことでした。

「大変だねぇ」と返されて終わった場合は、
「同情や憐れみなんぞ、いらん!」
「所詮は他人事かぁ」
「しゃあない、もっと考えろってことだな」
と思っておりました。

そんな人間なので、“話を聞くだけでいい”という世界は存在しなかったのです。

友人が話をしただけでは『なにも現実はかわっていない』のですから。
わたしが聞くだけでは、『大切な友人の環境を良くするために、現実的なサポートがなにも出来ていない』のですから。

これが『自分のものさし』でした。

 

その後、「聞くだけでいい」という世界について、それがどういうことなのか、自分なりに考えてみました。

『 現実は何も変わっていない。 
 ひとりで
内部に抱えていたことを

 言葉として
外部に出すことで、

 ひとに伝えて
共感を得ることで、

 こころの重荷が軽くなる。
 こころのあり方が変わる。

 こころが
変わることによって

 現実の
受けとめ方が変わる 』

これによって、「聞いてもらうだけで、心がスッキリする」のではないか、と。

 

友人に教えてもらってからは、
・アドバイスを求めているのか
・聞いてほしいだけなのか
ちゃんと気をつけましたよ~。

たまに“クセ”がでちゃいますけどね!
“あちゃ~、こりゃ、やっちまいましたなぁ...”

そんなときは、相手に“ごめんなさい”。
じぶんに“ドンマイ!これから気をつけよう”。

行動の“源”が善意であれば、“ドンマイ”でいいのがわかりました。
いまの未熟さを認めて、成長していけばいいだけですから。

 

人生経験を積み、精神世界を学んで、わかったことがありました。

それは『こたえは本人がもっている』ということ。

聞く側が思いつく答えというのは、聞く側が“もしも自分だったならば”という、他者の答えでしかないのです。

『他者ならどんな答えを出すのか』ということを求めているひと以外には、必要のないものなのです。

なので、「あなたなら、どう?」と言われない限り、アドバイスや分析は“余計なお世話”かもしれません。

なかには、愚痴を言いたいために、イヤなことを残しておきたいひともおられます。
それを自覚していないので困ってしまうのですが、ね...。

 

『聞く側の人間は
 相手のこころに寄り添う
 こたえを発見できるように手助けをする
 それだけで、いいのだ』

と、いまの私はおもっています。

あなたは、どうおもいますか?

 

☆ランキング参加中☆
 ぽちっとしていただけるとうれしいです♪

日々、生きてる

Posted by Hikaru