なんで『しあわせなままで』いられないの?
「不思議だなぁ」と感じたことは、ありませんか?
おそらく、とっても多くの方が「しあわせになりたい」と、望んでいらっしゃると思うのです。
そして、“しあわせなとき”を体験なさったこともあるでしょう。
でも、なぜか“しあわせは、終わってしまう”のです。
“しあわせなひととき”になってしまう。
幸せな状態が、ず~っと続けばいいのにねぇ...。
なんで、“終わってしまう” のでしょう?
これを知っていると、すこし気がラクになると思いますよ。
時間の経過
これは、もう、あらがいようがないですね。
容赦なく、時は過ぎていきます。
赤ちゃんから子供に、子供から成人に、成人から老人に...。
どんなに楽しい学生生活をおくっていようが、卒業が待っています。
パートナーが出来て結婚したり、親になったり、孫が出来たり...。
同じ会社に勤めていたって、自分の立ち位置が変わったり、会社の内部が変わったりもします。
“いま”という時の状況、環境が変化していきます。
時間の経過とは、ひとが学び、成長するために、この世の仕組みとして設けられているものですよね。
これの利点は、みなさんもご存じの通りです。
『いやなことも、過ぎていく』
『いやなことも、いつかは終わる』
この利点がある一方で、
『しあわせも、過ぎていく』
どちらにも作用するのです。
「しあわせが続く」を望んだとしたならば...?
「いやなことも続いてしまいます」!!!
そりゃ、ヤダよ~~~(T_T)
さて、あなたは“あきらめるこころ”を、持てますか?
目をふさいでいた
恋愛なんて、このケースが多いのではないかな?
「理想だった“しずかな人”が、パートナーとして現れてくれた!」
ルンルンに思っていたら、しばらくすると...?
「あまり話もしない人。静かすぎて、いるんだかいないんだか...。面白味がない」
理想だった部分がイヤな部分になってしまう。
これは、当初のワクワク感で見えなかった(目を塞いでいた)部分が、冷静に見れるようになった。
慣れたら、気付かなかった部分(自分自身も相手も)に気付くようになった。
同じ状況に飽きてきた。
こんなことが、あるのだと思いますよ。
自分自身にこころの変化があったり、はたまた、相手が変化したり、もありますけどね。
さて、あなたは“変化に対して柔軟に”なれますかね?
向上心の副作用
たとえば...。
とても素敵な家がみつかって、住んだとしましょう。
しばらくは、うれしい気持ちで過ごせると思いますが、時が経つと?
「リビングがもう少し広ければよかったのに」
「ここに、水道があればいいのに」
いろいろと、気になるところが出てきます。
家は、住むことを決めた時から変わっていないのに、です。
もちろん、「気にいった!」というときに見えていなかったものが、体験してみて見えてくる、ということもあります。自分の状況が変化した、ということもありますけどね。
そうでなくても、なぜか『満足したままで』いられないのですよ。
「もっと、こうだったらいいのに...」
“もっと、もっと”という気持ち。上を目指す、精神。
ひとが成長するために必要な、“向上心”。
これが、「しあわせな気持ちが継続するのを、邪魔しているのではないかな?」と、思うのです。
いわゆる『向上心の副作用』!!!
この気持ちが表れた時は、「副作用がでてきているなぁ」と、認識するだけで、こころが軽くなりますよ。
家に住まわせていただいている、という感謝の気持ちをもちながら、ね。
さて、あなたは“向上心の副作用”だと、自分を苦笑できますか?
“いやなこと”も
“しあわせなこと”も
“ぎゅ~~~”っと握ってしまうと
つぶれてしまうよ
手をひらいて
手放してあげませんか?
こころを
かるく、かる~くしたら...?
しあわせのシャボン玉が
フワッと手の中に舞い降りる
風で手の中から飛んでいっても
手の中で割れてしまっても
また新たな幸せのシャボン玉が
フワッと手の中に...
新たな幸せが次から次へとやってきて
しあわせなきもちが
つづいていく
ふしぎでしょう?