“わがまま”なんだよねぇ
「わたしは“わがまま”ではない」と思っている、あなた!
気付いていない、だけかもよ~?
“わがまま”という単語で、思い浮かぶのは...?
子供が「オモチャ買って~~~」と、親にダダをこねている姿。
ときには、お店で寝転がったりしている子供を見かけることもあります。
はずかしいねぇ。でも、自分が愛されていることを知っている、うらやましい子供でもあります。
わたしは、幼少時代から冷静でした。
貧乏な家庭で育ったので、ねだってもムリなことを理解していました。
そのため、そんなダダをこねたことは、ありません。
『「これ欲しいなぁ」と思うものを、眺めることは許されるよね?』と、無言で店頭に並ぶおもちゃを見ながら、手にした自分をイメージしたり、想像で遊んだりしていました。
でも、親からは「買えないんだから、見てたってムダだよ。いくよ!」と、腕を引っ張られ、おもちゃから引き離されました。
『...はぁ、見て想像することさえも、許されないのかぁ』
せつないもんでございましたよ...笑
わたしは“わがまま”ではない。
そのように自分のことを思っておりましたが、10代中頃から、気付き始めました。
わたしは“わがまま”なんだな、と。
「似てるけど、ちがう」
家族は、私に対して“無償の愛”を持ち合わせてはいませんでした。残念!
あるのは、“人間愛”だったのです。う~む、残念!
幸いにも、人間愛があったので、昨今のような“虐待”はなかったです。
でもね、幼いわたしは“無償の愛”が欲しかったのですよ。
無性にね。無償ゆえに、むしょ...ハイ、ごめんなさい
どんな“愛”でも、“愛”には変わりない。
ただ、自分が望むものと異なっていただけなのです。でも、異なるから“ちがう”と、感じていました。
「ものには“いいかた”ってもんがあるでしょう!」
こんな言葉を耳にすることもあります。
“いいかた”が異なっているだけで、中身はいっしょなのにね。
“いいかた”が、自分の望むものと異なっていると受け入れられない。
受け入れにくいだけに留まらず、怒ってプリプリしたりする人もいますよね。
表現が望むものと異なるから“ちがう”と、感じているのです。
「あの人には、いわれたくない!」
このように言う人もいますよね。
誰に言われたって、言われる内容はおなじなのに、ひとを選んでいるんです。
「この人に言われるのはいいけど、あの人からは言われたくない」
発言する相手が自分の望む人でないから、拒否しているだけなんです。
ひとは、『じぶんで気付かないうちに、“自分にとっての理想”をつくっている』
だから、その理想ではないものが自分に与えられたときに「これじゃない!こんなの欲しくない!」と、怒ったり、不愉快になったり、してしまう。
『ほしいオモチャではなく、違うオモチャを与えられた』という状態。
これって“わがまま”だと、思いませんか?
だれもが、“わがまま”な自分を持っているのだと思うのです。
“わがまま”が、わるいってことではないんですよ。
自分の心の動きから、理想としているもの(ほんとうの気持ち)がわかりますから。
わがままに気付く、理想に気付くと、不思議と心が落ち着きます。
「思い通りにしたい」欲が薄くなります。
自分の欲が薄くなると、与えられるものの、本質をとらえることができるようになります。
『こどものオモチャで例えると...?』
ほしいオモチャ以外のものを親が買ってきたときに、「欲しいオモチャとは違う...。でも、“買ってあげたい”という気持ちはあったんだね。その気持ちに“ありがとう”」とか。
本質を知ることで、沸き上がってくる不快な感情が激減します。
わたしがそうであったように、ね!
“わがまま”は
悪いものではないのです
あなたが
ほんとうに
望んでいるものは
なにかを
知るための
“こころ”
わがままに気付けば
わがままな心が
消えていく
わがままな心が
消えると...?
真実が
みえてきますよ