感謝の達人 しあわせ探しの達人
わたしは、まだまだ未熟者ですが...。
この達人は、すばらしいですよね!
おじいさん、おばあさんに多いように感じます。
「ありがたい」
常になにかに感謝している。
あたりまえ、が、あたりまえ、じゃない。
『つねに感謝するものを探しているのか???』
『ただの口癖で、軽めな気持ちで、さほど感謝していないのか???』
未熟なわたしは、そんなことを思っていたのでありました。...ごめんなさい。
『感謝の達人』は、『しあわせ探しの達人』でもあると思うのです。
ですが、わたしを含めた多くの方が、こうじゃないのかな?
『感謝することに“気付けていない”』
『しあわせに“気付けていない”』
こりゃ、もったいないねぇ~~~。
『“気付いていない”ことに、“気付きたい”ですか?』
これはね、選択です。だって、自由意志が尊重されるから。
パワースポット巡りやら、観光登山なんてしていますとね...。
いくつかの場所では、“結界”をみつけちゃいました。ひゃ~!
いやいや、わたしが勝手に「これは“結界”であろう」と、感じただけなのですが。笑
大きな石に、読めない文字?記号?が刻まれていました。
なんとな~く、結界だと感じた私は、この大きな石だけではなく、他に2か所あるような気がして、周りを探しました。
すると、大きな石をはさんで左右に、しかも少し離れた場所に小さめの石があり、刻まれていました...。
石に刻まれた文字は、風雨にさらされて消えゆく寸前でした。
「文字が消えたら、結界が崩壊するのかな?」
そんな心配もしましたが、わたしが出来ること(お役目)ではないので、「きっと、天命が下りる方が現れるだろう」と、スルーしました。
ごめんね、他にやることがあったんだよぉ。
人知れず、“じぶんが出来ること”をして、危険からこの世を、この世の人間を、護っていらっしゃる方々も、います。
人から、物質や感謝の心を求めての行動ではなく『やりたくて やっている』。
私たちは、結果的にその方々に護っていただいてるわけです。
そして、護ってくださっているのは、じつは、肉体を持つ、この世の人間だけではありません。
『気付かずに、護られている』
食事をするときに、料理してくれた人や、材料を売っているお店の人、までは意識がいきますよね。
なかなか、材料を育ててくださった方まで、意識はいかないと思うのです。
にゃに?『生産者まで意識して、感謝している』?
お~~~!それは、すばらしいですね!
では...。
何十年、何百年、何千年もの年月をかけて、“食物が育つ”土地として耕してくださっていた方々は? もう、この世にはいないけど。
土の中にいる微生物たちは? 小さすぎて、目に見えないけど。
土自体の栄養を育んでいるのは?
人間を含めた生物、植物、鉱物たちが存在することのできる大地、地球は?
無意識に摂取している空気は?
循環の中で生まれる“雨”は?
太陽は?
地球が回転しているためにある、“昼と夜”。宇宙の仕組みは?
...もうね、ありすぎるんですよ。
ひとつひとつに、いちいち「ありがとうございます」なんて言っていたら、『じゅげむじゅげむ...』と同じで、毎日がそれだけで終わっちゃいます。
しかも、想像可能な域を超えてる部分だってあったりするから、こりゃもう、お手上げ。
なのでね、神社での参拝時には『神さまに感謝の心を捧げましょう』って、いうじゃないですか。
『日々をおまもりくださっていることに、感謝』
『気付かないところで、おまもりいただいていることに、感謝』
って、ことだと思います。
書き連ねると、気付かないことだらけ、普段は意識していないことだらけ、なんですよねぇ。
え?わたしだけ??
だからこそ、『身近なこと、気付けることには、気付ける人間でありたい』ものです。
さぁ、身近なことに、なんで“気付けない”のかな?
“あたりまえ”に感じてしまっているのかな?
- 日常のストレスやら、忙しさやら、に囚われている。
- 悩み苦しみに、集中しすぎてしまっている。
- 肉体を動かし過ぎていて、ホッと一息、落ち着く時間がない。
- 自分のことばかり考えて、周りに意識がいかない。
そんなこんな、で、“こころのゆとり”を失っていることが、“気付けない”主な要因だと思うのです。
こころの休息をとり、意識していると、気付けることが増えてくるんじゃないかな。
要は、“意識するか、しないか”なんですよね~
そして、気付いたら?
心の底から『ありがとう』!
『感謝の心がわいてくる人間でありたい』ものです。