だまされてあげる“やさしさ”、だまされない“やさしさ”
「だまされてあげる」とは言っても、詐欺などには騙されちゃあ、イケませんぞ。
これまで、たくさんの方にお会いしましたが、言い訳をする人や真実をごまかそうとする人の、なんと多いことか...。
自分自身にいいわけをすること、わたしもたまにあります。ひとごとじゃあ、ありません。
多くの人は、失敗したときに“いいわけ”をします。
言葉にしなくても、こころの中でいいわけをしていることも、あります。
じぶんがこの手の人間なので、よくわかります。笑
表情や空白時間で、察することができますよ。
“いいわけ”がおきるのは、マズイ失敗だけとは限らないんです。
取り返しがつかないような失敗ではなくても、超つまらないこと、些細なことでも、いいわけがおこります。
『自分の言動を正当化したい』
そういうこと。
さて...。
誤魔化そうとする人に対して、「そうなんですねぇ」と、話にのってあげると、どんな反応が返ってくると思いますか?
これは、目上の人でも、部下でも、同僚でも、みんな同じ反応でした。
それは?
“安堵の表情”が返ってきます。
だまそうとする人にとって、だまされてくれる人は、“自分が安心していられる”存在、なんです。
だから、つまらないことは、その人のこころが安心していられるように、だまされているフリをしてあげます。
わたしなりの“愛”です。
さて...。
誤魔化そうとする人を、じっと見つめると、どんな反応が返ってくると思いますか?
多くの人は、焦って慌てます。そして、さらなる言い訳を重ねます。重ねるために、最初に言っていたことと、“つじつま”が合わないことも、あるくらいです。
たまに堂々としている人もいらっしゃいますけどね!
わたしは、若い頃から周囲の人間に「コワイ」って、言われるんです。
視線を送っただけで、怖いと言われてしまうんです。とほほ。
目つきが鋭い、睨んでるように見える、っていうのも、あると思います。
若い頃は、“言い訳しよう”“ごまかそう”とする人間に対して、「本当は、そうじゃないんだろう?」と、ズバッと伝えていました。
これがね、“刺さる”らしいのです。
人間関係をま~るく、オブラートで包むことは、相手に誠心誠意むきあっていない、と、若い自分は思っていたのです。
社会人になると、先輩方を相手にするので、そうズバリは言わなくなりましたよ。
大人になったってことですねぇ~、ハハハ!
でもね...、じつは、一部の人に言われたのです。
「見透かされていそうで、こわい」
『ひとは鏡』
相手の瞳が、じぶんの“真実”を映しているんです。
『相手を偽っている自分がみえる』
『じぶんを偽っている自分がみえる』
これがね、“こわい”正体なんです。
決して、わたしがコワイわけじゃない。と、思いたいだけか???
わたしが人を教える立場の時に、ごまかそうとする人がいた場合。
ほんと、くだらないことの場合は、スルーします。
でも、真実に向き合えないと悪い方向にいってしまうな、と判断したときは、逃しません。
だから、教わる人から、よく言われました。
「普段のひかるさんは好きだけど、教えてもらう時のひかるさんは怖い」
あたりまえです。
だって、よい方向に成長してほしいから、ね。
わたしの個人的な意見ですが、相手を誤魔化そうとするのは、まだいいんです。
自分の本心を、自分に隠すように誤魔化すのが、良くないと思うのです。
“愛”があるから、だまされてあげない、ってことなんです。
ごまかそうとする人がいらしたとき。
『つまらないことなら、だまされてあげませんか?』
『道を誤ってしまうことなら、だまされずにいてあげませんか?』
あなた自身がごまかそうとする人ならば。
『勇気を出して、真実を受けとめてみませんか?』
『相手の反応を気にするのを、やめてみるのはどうですか?』
真実が受けとめられないと...?
ごまかしてばかりいると...?
いつか、本当の自分を見失ってしまうんじゃないかな?
それが心配です。
いずれにしても
そこにあるのは
“愛”(やさしさ)