きょうは、あなたの誕生日
誕生日に、読んでいただきたいな。
毎日毎日、同じような日々をおくっていても。
毎日毎日、生きるだけで精いっぱいでも。
毎日毎日、生きるのがつらくとも。
独り暮らしだと、気にかけてくれる人もいないので、誕生日は“特別な日”ではなく、“いつもと変わらない日常”に感じてしまいます。
でも、何か不愉快なことが起こった時に『今日は誕生日なのになぁ』なんて、つい、思ってしまう。
“生まれた日”って、やはり特別なのですよね。
『大切な人が生まれた日』
大切な人が、この世に現れてくれた日。
そして、いままで紆余曲折ありながらも、生きていてくれた。
そして、自分と出会って、大切な存在となってくれた。
そして、ともにこの世を生きてくれている。
それを改めて感じさせてくれる日。
とても、ありがたい日。
日常では、恥ずかしくて伝えられない想いを、伝えられる日でもあります。
それでも日本人は、本当の想いを口にする恥ずかしさがあるから、“誕生日”にお祝いをする=行動で示す、のかもしれませんね。
ただの“行事”にしてしまうのは、もったいないですけどね。
『じぶんが生まれた日』
愛されている自分を、認識できるひと。
自分は大切にされている存在だと、認識できるひと。
自分が生きていることを喜んでくれる存在がいることを、認識できる人。
そういった方々は、生まれ、生きてきた喜びを、いとも簡単に感じられることでしょう。
だれからも、“大切な人”に思われていない自分。
自分自身でさえも、“たいせつ”に感じていない自分。
『生まれてきたことさえ、疑問を感じる』
『生きていることさえ、どうでもいいと感じる』
そんな想いがある方にとっての誕生日は、普段よりも寂しい日。
だって、日常生活で隠れていたこと(必要とされない自分の存在)を、改めて認識させられてしまうのだから。
もしも、『自分の存在を喜んでくれる人は、誰もいない』と思ったならば、もっと良く周りを見回してみてください。
気付いていないだけ、のことがあります。
それと、“身近にいない”だけかもしれません。
“身近”っていうのは、距離的(物理的、関係性)なものと、時間的なものがあります。
☆何年も疎遠になっていた友人が亡くなったと報せを受けてから、何年も泣き苦しむ人もいます。
遠く疎遠になった友人は、大切に想い続けていたのです。
故人が気づいていなかっただけで、ね。
☆道端で困っている人を見かけて、手助けをしてあげた。
自分が気づかないだけで、困っている人は、心さえも救われたかもしれません。
あなたが存在したことによって、ね。
☆これから出会う大切な人。
『この人に出会うまで、つらくとも、生きていてよかった』と、気付かせてくれることも、あります。
いまは出会えていないだけで、ね。
たとえ、生まれ生きてきたことを喜んでくれる、他者の存在を感じられなかったとしても、自分を褒めてあげてください。
『1年、よくがんばったな』
『この1年、ちゃんと生きてる。エライぞ!』
そう、この世に存在するのは、“意味(存在理由)がある”。
その“意味”が分からないから、苦しいのだけれど。
分からなくて苦しくとも、それでも、あなたは1年“生きた”のだから、ちゃんと『自分はえらい!』って褒めてあげなきゃ、ね!
もちろん、守護霊さまをはじめとする『あなただけの応援団』は、あなたには見えなくても声がきこえなくても、「すごいよ!えらいよ!」と、褒めてくださってますよ。
余裕のある人は、いままでの1年、挑戦したこと、クリアしたことを、振り返ってみよう。
そして、これからの1年をどう生きたいか、幸せをイメージする。
すてきな1年を創造するのは、じぶん、だから。
生まれてきてくれて
ありがとう
生きていてくれて
ありがとう