自分のことで、精一杯
そんなときも、ありますがな。
他者のことを、いつも気遣う人、思いやりのある人は、要注意なのです。
ひとは、自分に悩み事があったり、疲れていたりして、じぶんのことだけに集中しているときがあります。
日頃から、他者を大切にする人が、じぶんに集中して、その集中が途切れたとき。。。
ふと、周囲へ目を向けると、困っている人がいた!
すると、気付かなかった自分を責めてしまうのです。
「きづけなかった...自分のことばっかりに目を向けてしまっていた.....」
「じぶんは、なんて薄情な人間なんだろう」
「じぶんは、なんて、おもいやりのない人間なんだろう」
ちがうんですよ。
それはね、あなたが元々“愛あるひと”だからこその、反応なんです。
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相当疲れていた若者が、電車で2時間の移動中のこと。
シルバーシートだけが空いていたので、若者は座らせていただくことにしました。
「お年寄りが電車に乗ってきたら、席を立とう」
普段は、電車で眠ることのできない若者でしたから、安心して座りました。
ところが、知らない内に眠り込んでしまったのです。しかも、熟睡です。
どのくらい眠ったのでしょう。ウトウトしながら目を開けると...?
なんと!杖をついたご老人が、若者の目の前に立っていました。
あんなにガラガラだった席も、いつの間にか満席でした。
「すみませんっっっ!どうぞ」
若者は席を譲った後、反省しました。
『なんで、シルバーシートで眠ってしまったんだ!』
『膝がカックンしながらでも、立っていればよかった。。。』
『お年寄りには、大変申し訳ないことをした。。。』
しばらく、若者は自分を責め続けました。
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若者は、倒れそうなほど、疲れていたのです。
「失敗した。反省しよう」
「次は、気をつけよう」
だけで、『自分を責め続ける必要は、ないんじゃないかな?』と、わたしは思うのですが、どう思いますか?
第三者として、冷静に物事をみると―――――。
「あちゃ~、やっちゃったねぇ。でも、そんなこともあるよ~。“いっぱいいっぱい”だったんだね。ちゃんと休息とりなよ~」と、言ってあげられると思うのです。
でも、ご自分だったときには、どうですか?
おなじような言葉をかけてあげられますか?
『自分を責めては、いませんか?』
じつは、若者はわたしです。
わたしが“愛ある人か否か”、とか、“言い訳したいんじゃないの?”、とか、余計なことを考えていただきたくないので、“若者”としました。
わたしはね、じぶんのことは責める傾向があるんですよ。
ゆとりがなくて、いっぱいいっぱい。なのに、ゆとりがない、という自分さえ責めます。
あなたは、大丈夫ですか?
ちょっと怪しい人は、『そんなに自分を責めるでないよ』を読んでみてね!
つねに、心にゆとりのある状態が一番いいですけど、ながい人生、そう、うまくはいきません。
ゆとりがなくても、他者を大切にできたらステキですけど、ゆとりがないと視界が狭くなってしまうので、むずかしいのです。
「自分のことだけで、精一杯なんだな。いま、余裕がない状態なんだな」
それを認識できたなら、いいんじゃないかな?
あとは、“こころのゆとり”を持つ方向に、むかえばいいだけですから。
“じぶんのことで、いっぱいいっぱい”
そんなときも、人生あるある、ですよ~。
あなたに必要なのは
責めるのではなく
『自分の状態を知り、休息をとる』
あなたに必要なのは
悶々とするのではなく
『リフレッシュ』
こころのゆとりが出来たなら
あなたの目は
あなたの愛は
ちゃんと外側に向かいますよ。。。