じぶんが体験してみて、わかること
つらいことは、できることなら体験したくはありませんけど、ね。
他者のツラさを耳にしたときに「大変だなぁ」「つらいだろうなぁ」と、同情するひとは、多くいらっしゃることと思います。
『つらい体験をしている人が、自分の前に現れた』
『他者の辛い話を耳にした』
もしかしたら、自分が体験する予定のものを、事前に体験してくださって、知らせてくださっている可能性があります。
じぶんで体験しないと理解できないようであれば、生きている間に体験する出来事が待っています。
無意識下で、じぶんで体験したい“体験ありき”のひとは、やはり、体験する出来事が待っています。
『ひとの話を自分のこととして受け止める』までいかないと、未来の出来事を“無効”にはできないようです。
~~~~~~~~~~
若い頃に、友人が“うつ病”になってしまいました。
話を聞くと、なんだか大変そう。どうにかして、“ラク”にしてあげたいけど、病気自体もよくわからない。
いまのようなスマホ社会ではなかったので、情報を簡単には取り出せませんでした。しかも、若さ(アホさ?)ゆえに、本屋に行くなんてアイデアも浮かばず。
アホさゆえに、普段通りに接すること、気力が湧くようにハッパをかけること、をしました。
しばらくすると、友人から「症状が良くなるまで、連絡はとらない」と、言われてしまいました。。。
『どうすれば良かったんだろう...』
『友人を救うどころか、追い詰めてしまったのかも...』
そのあと十数年、考え続けました。
歳月が過ぎ、じぶんが“うつ”を患うことになりました。
そして、わかったのです。“うつ病”が、どれだけ“シンドイ”ことか。ハッパなんて、まったくもって余計なことでした。
“知識がないのに行動した”のは、わたしの罪でした。
“自分だったならば、どうしてほしいか。。。で、判断した”のは、わたしの罪でした。
当時の友人にとっては、酷なことをしたのです。
『友人のこころに寄り添う』だけで、よかった。
『話をただただ親身にきく』だけで、よかった。
『“いま”この瞬間に生きられるように、こころを“いま”に集中できるようサポートする』だけで、よかった。
じぶんが体験して、わかったのです。
※ひとによって、軽症から重症まで異なりますし、症状も異なるので、一概には言えませんけど、ね。
~~~~~~~~~~
わたしは、好き好んで“うつ病”になった訳ではないのですが、元々が“体験ありき”な人間なので、無意識下では“好き好んで”なったのでしょう。。。
実際に、『友人は、こんなにツラかったのか。なってみて、ようやくわかった。少しは、あの頃の友人を理解できただろうか?』と、思っちゃいました!
顕在意識では、“いや”なんですよ?
うつ病は再発もありますし、症状が出始めると「きた~~~!マジで、やめて!!!」と、思います。
要は、“潜在意識”なのです。
ツライ体験をしている(した)他者が現れたならば、あなたは、他者の心に寄り添うことでしょう。
そのあとに、ぜひ『ひとの話を自分のこととして受け止める』、これをしてください。
他者を通して体験したならば、未来の創造を打ち消せます。
『じぶんで実際の体験ありき』のひとも、おなじです。自分の潜在意識を体験済に変える必要があります。
『体験して、わかること』は、もちろん沢山あります。
体験を必要とするひとは、未来を打ち消さなくたって、いいんですよ。
でも、できれば体験したくないことであれば、打ち消しちゃいませんか?
あくまでも、“自由意志”。
個人の選択の自由ですけど、ね。