運のいい人
あなたは、“運がいい人”になりたいですか?
わたしの体験をお話しいたしましょう。
“運のいい人”になれる、かもしれませんよ。
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10歳の頃、わたしは手芸の本を購入していました。
それらの冊子には、『ハガキを書いて応募しよう!○○が抽選であたります』と書かれていました。
「これ、ほしいなぁ」
景品でほしいものが載っていたら、ハガキを出しておりました。
しばらくすると、忘れた頃に景品が届きます。そんなことが毎回でした。
そうなんです。ハガキを出すたびに、“あたって”いたのです。
当時のわたしは、“抽選”というのはハガキをだした人、全員を指すのだと勘違いしておりました。
家族からは「よかったねぇ」と言われるので、「うん。欲しいからハガキ出したんだ」と、返事しておりました。
家族が抽選ハガキを出す時には、わたしの名前が使われました。
「きた!あたった!!お前の名前を使って、正解!」と言われておりました。
くじ引きは“あたり”。ガラポン抽選は“あたり”。おみくじは“大吉”。
当たりクジや、大吉しか入っていないか、量が多いのだと思っておりました。
必ず、なにかしらアタるので、商店街のくじ引きなどは「運のいい、お前がやれ!」と、家族から指名されました。
ある時、家族から“抽選”の意味を教えてもらいました。
家族「〇人にしか、当たらないんだよ」
わたし「え?!うそだぁ...。もし、そうだとしたら、きっと、抽選と言いながら、全員に送っているんじゃないかな?」
なんとも、さめたクソガキ子供なのでありました。
それから、というもの。
ハガキは「ハズレることもあるんだよねぇ、でも、アタるといいなぁ~!」そんな思いで、出しました。
当たらなくなっていきました...。
私がハズレるようになると、家族もハズレるようになりました。
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ちなみに、私の名前は代表的な『大凶画数』です。
幼少時代に親が占ってもらったプロの姓名判断では、過去の悪い出来事をズバリあてられ、「改名した方がいい」と言われ、親がその気になったくらいです。
運がいい要素なんて、ありません。
それでも、「運がいい」と、家族に使われていたのです。
『どうすれば、運のいいひとになれると思いますか?』
体験談で、お察しのかたもいらっしゃるでしょう。
ズバリ!「信じること」です。
何の不安も雑念もなく、純粋に信じることです。
どうです?簡単でしょう?
...ふっふっふ。
じつは、そう簡単ではないのだ。
ふと、不安はよぎるもの。
人生経験を積めば積むほど、雑念が邪魔をしてしまうのです。
そこで!
じゃあ、どうすればいいのか、ってことですねぇ。
しりたい?
では、こっそり、おつたえいたしましょう。コッソリじゃない?しまった!おおやけであったかぁ。
- 1点集中の“あたり”“はずれ”は、捨ててしまいましょう~。
“はずれ”たときは、それが、あなたにとっては“不要なもの”であった、だけなのです。“余計なもの”とも言う~。目先は欲しくても、です。
ね?幸せにつながらないものは、いらないでしょう?
ハズレることが、アタリであった! - 『本当に必要なものは、かならず与えてもらえる』
これを信じましょう~!
これは、ね、信じられるのです。
そして、信じれば信じるほどに、“奇跡”と感じることがおこります。
※体験は、のちのち、書かせていただくかもね。
奇跡が起こるたびに「やっぱり、わたしは運がいい。ありがたい」と、感謝してください。それが、さらなる奇跡を引き寄せます。
さて、これができると...?
「じぶんは運がいい!」
はっきり、周囲に言えるほどになりますよ。
なんてったって、「わたし、運がいいひと」ですから~笑
この世のひとは
おもしろいですね
目の前の出来事に
一喜一憂
たのしそうだけれど
ほんとうのことが
見えていないのですね
かみさまは
みなに愛があるのです
ときには
きびしい“愛”もあります
それさえも
わたしには到底及ばない
あなたへの深い
とても深い
愛なのですよ
あなたは
つねに
愛されているのです