いただきます、ごちそうさま

感謝をして、いただくのです。

 

先日の記事『植物のちから』で、“自分のために誰かが犠牲になることは、あってはならない”と書きました。
ですが、すでに自分のために犠牲になっていただいている、しかも、止められないことがあります。
こればかりは、どうしようもないのです。

それは、食事

 

この世は、弱肉強食の世界。
肉体を生かしておくために、どうしても摂取しなければならないのです。
肉、魚、野菜...。

スピリチュアルな方々の中には、エネルギーを研ぎ澄ます(波動を下げない)ために“肉を口にしない”、という人もいます。
ベジタリアンやら、ヴィーガンやら、動物愛護の気持ちから、草食の方々も増えていることでしょう。
でもね、私からすると野菜も生きているので、おなじだと感じてしまうのですよ。

 

あるとき、スピリチュアルな知人が野菜に聞いたそうです。
「野菜さんも生きているのに、たべてもいいのかな?」
すると、野菜さんは答えてくれたそうです。
「気にしなくていいんだよ。きみに食べてもらうために、ここにいるんだから」
知人は「ありがとう!とっても、おいしい」と、泣きながら完食したそうです。

肉よりも、野菜の方が、もともと奉仕の精神が強いのかもしれませんねぇ。

 

幼い頃から、ふしぎに思っていました。
「なんで、仙人のように“かすみ”を食べて生きられないんだろう」
完全・完璧な神の創造物であるはずの、人間やら動物やらが、いきるために“他の生き物を食べなければならない”のが、不思議だったのです。
ちなみに、あの世では、かみさまのエネルギーが食事です。
あなたも、この世の仕組みが不思議だと思いませんか?

 

いまの未熟な私の結論は、「奉仕の精神、循環、感謝を学ぶため」。

 

食事を摂取するとき。
じぶんが生きるために、この世で育った命を捧げていただくのです。
じぶんが食するために、食材を育てたり、加工してくださった人々もいます。
命をいただくこと、じぶんの目の前に提供されるまでに携わった方々への感謝。
それらが、食事に箸をつける前の「いただきます」
この、たった一言に、すべてが凝縮されているようです。

 

さぁ、ここまできたら、つぎは?
「ごちそうさま」ですよ~。

漢字にすると、御馳走様。
一般的には、むかしは近所にスーパーなんてなかったので、走って調達、台所を走りながら準備した人へ感謝する言葉、と言われています。

わたしが意識している「ごちそうさま」は、人々への感謝と共に...。
『我が身のために捧げられた命たち、我が血と肉となり(体を駆け巡り)、我と共に生きよう』

 

自己への犠牲をとめるために命を絶つのは、言語道断
なぜなら、学ばねばならないことがあるのに、放棄することになりますからね。
学ぶために、この世の、この仕組みの中に、わざわざ生まれてきたのですから。あたりまえの奇跡~なぜ生まれてきたの~
「自分のために申し訳ない」と思ったなら、それこそが学びかもしれません。
苦しくても生ききること、です。
いつか、この仕組みの意味を悟ることでしょう。

犠牲になっていただいたものへの感謝のこころは、生きることで返せます
できれば、イキイキと楽しく生きましょう!
それも、恩返しになるかもしれません。

 

食事の時は、「いただきます」「ごちそうさま」しましょうね~!

さて、今日はなにを食べようかなぁ。

 

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Posted by Hikaru