ひとの幸せは、蜜の味
あなたには、大切な人がいますか?
大切な人が苦しんでいるとき。
「どうにかしてあげたい」と、一緒になって悩むものです。
普段であれば、楽しめる出来事があっても、あまり楽しめなくなってしまう。
大切な人と共感しているから、です。
『他人(ひと)の不幸は、蜜の味』
- じぶんに対してヒドイ態度をとる人が不幸になると、「ざま~みろ!」なんて、思ったりする?
- 他者の不幸と比較して、「あのひとより、自分は不幸ではないな」と、思いたい?
- 不幸な自分と同じ思いを他者に味あわせたい?共感したい?
この言葉は、世の中に広く知れ渡っていますね。
でもこれ、本当の意味で、残念なのです。
蜜の味なんていっても、甘いだけではありませんよ?
精神世界では、という、お話。
ざま~みろ!は、“人を呪わば穴二つ”にも、間接的に繋がります。
呪っちゃいないけれど、不幸を笑うのは、「不幸が喜ばしいこと」となる。
さて、宇宙はあなたを喜ばせるのが大好き。
主語のない宇宙意識は、「きみは不幸がうれしいんだね!わかった、もっとあげるよん」と、悪意なく不幸をもたらすのです。ひゃ~!や~め~て~!
不幸な人と比較して、幸せを実感する。
不幸なときに、もっと不幸なひとをみると、「自分の不幸は、大したことじゃない」と、思えるのも事実。
だがしかし、“不幸”に焦点が当たっている。ここが落とし穴。
気持ちが軽くなること、耐えることを強化するだけで、幸せへの道が拓けた訳じゃない。
おなじ不幸を他者に味あわせたい。
まさに“人を呪わば穴二つ”。
ただし!すでに自分は穴に入っているところに、落とし穴がっ!
すでに穴に入っているあなたは、安心している「もう落ちてるから、大丈夫」。
ところが!底なし沼のように、さらに深い穴があった!どこまで落ちるんじゃい!
もしくは、穴から出た途端に、つぎの穴が用意されていた!またしても、ハマったかっ!
大切ではない人が不幸になったとき。
可能であれば、大切なひとと同じように感じてみてください。
「この不幸が自分であったなら」と、感じてみてください。
“ひとの話を自分のこととして受け止める”ことで、不幸はやってこなくなります。
難しい場合は、せめて、「へぇ~」くらいに留めておいた方が無難です。
大切な人が幸せなとき。
どんなに自分がツラい状況にいても、「あ~、この人が幸せで、よかった!」と、感じるものです。
じぶんがツラければツラいほど、こころに光が差し込んで、喜びが心を満たしてくれます。自分の状況が何も変わっていなくても、心が救われるのです。わたしは、救われましたよ!
これぞ、幸せの伝染。
他者の幸せも、可能であれば、大切なひとと同じように感じてみてください。
「しあわせ、うれしいね~!よかったね~!」
主語のない宇宙は、あなたに、さらに、喜びを与えようと動くことでしょう。
幸せへの道がひらかれます。
ね?『他人(ひと)の幸せは、“蜜の味”』でしょう?
しあわせを
感じてください
しあわせに
なってください
あなたの幸せは
周りの人に
ひろがってゆくのですから