しあわせの条件
あなたは、しあわせに条件を設定していますか?
「これが自分にとっての、しあわせ!」
じぶんがどんなことに幸せを感じるのか、認識しておられる方も多いことでしょう。
だけど、表面的なことだけを認識していることも、あるかもしれませんね?
たとえば、です。
お金にキュウキュウな生活を送っていると「お金さえあれば、しあわせなのに」と、思います。
高い報酬の仕事を選び、お金にゆとりが出来て、裕福な生活が出来たとしましょう。
ゆとりのあるお金を生み出した仕事、これが超ストレスのかかる仕事だったとしたら?
心身ともにすり減るような、仕事。
「裕福な生活ができるのは、本当にありがたい。感謝」
「...でも、お金だけじゃ、幸せにはなれなかった」
大抵は、不愉快な体験をした後に気付くのです。
「お金だけではなく、時間も、心も、ゆとりが必要だった」
「じぶんが求めていたお金は、どんな得かたでも良いのではなかった」
「仕事をして感謝される、感謝が形となった報酬を受け取る。報酬への感謝を仕事でかえす...。じぶんは、この循環がしたいのだ!」
得たかったものが違うことに気付いた時、ひとは、ようやく真実に辿り着けるのです。
わたしは、自分の幸せについて、設定している条件がひとつだけ、あります。
『ひとの不幸の上に成り立つ、自身の幸せはない』
ひとが経験する必要のあることには、不愉快な出来事もあります。
人生のあるある、ですね!
だが、しかし。
じぶんの幸せ、によって、他者は不幸、なんてことは、避けたいのです。
「ありがたいなぁ」「うれしいなぁ」と感じる出来事がおきても、他の誰かが悲しんだり、不幸になったなら?
...わたしの幸せ感が、めちゃくちゃ激減してしまうワケです。
激減どころか、申し訳ないという心苦しさにまで発展してしまうワケです。
そんな残念なことになりたくない、充分に幸せを満喫したいので、設定をしています。
みんなハッピー!が、わたしにとって最高の幸せなんです。
最近のニュースを見ていますと、『自分さえ良ければいいの?』が、多い気がしませんか?
しかも、天の采配による幸不幸の振り分けではなく、意図的に他者を不幸にしている。
ある意味、「他者は関係なく、我欲を優先できるって、凄いなぁ」と思います。
では、じぶんだったなら?と、考えてみましょう。
「我欲が満たされれば、他者がどうなろうと、満足できる自分なのか?」
じぶんと向き合うと...、わたしはムリなんです。
設定は、じぶんの心と天に宣言します。
自分でいうのもナンですが、私の設定のすばらしいところは、しあわせを何の躊躇もなく、安心して受け取れることです。
天への信頼、が基本にはありますが、ね!
さて、そろそろ私を通して、「自分のしあわせって、なんだろう?」が見つかりましたか?
自分のしあわせについて、すこ~しだけ認識が深まると、不愉快な体験をせずにすみます。
望んだ幸せが訪れたときに、より一層、幸せを満喫できるかもしれませんね!
「あなたは
なにを望んでいるの?」
そう問いかける
私の声は
あなたに届かない
不安や不満
かなしみ
苦しみ
目先の欲
あなたの心に
薄いヴェールが
幾重にも重なり
私の声を
届かなくさせるのです
あなたが
なにを望んでいるのか
わたしには
分かっています
だから
あなたに問うのです
目先のよろこび
幸せの形ではなく
根源が満たされないと
本当の意味で
幸せを
感じられないのです
あなたが望む
しあわせは
小手先で
得られるものではない
たいへんな事も
あるでしょう
それでも
真実から目をそらさず
本当の幸せに
むかってください
わたしは全力で
あなたを
サポートします
あなたが
ほんとうの幸せを
つかめるように
あなたのしあわせは
望んだ時点で
現実にあらわされます
もう
そこに
あるのですよ