夢か、まことか、まぼろしか...~幼き子供がみたものは~

あなたは、なにを感じるだろうか。

 

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5歳の子どもが、家族とリビングにいた。

テレビをみる父の後ろを横切ろうとしたとき。
「こりゃあ、ひでぇなぁ」
父の声に誘われ、子どもはテレビに視線をむけた。
子どもは、しばし声を失い、呆然と立ちすくむ。

『な...に、これ。なにがあったの?』

視線の先には、壊れた街並みが映し出されていた。
たくさんの家が崩れ、ビルの瓦礫が散乱していた。
かろうじて姿を残したビルも、美しい外観は失われ、暗い灰色のコンクリートがむき出しになっていた。

音もなく、ただ静かに、風が街を通り過ぎていったーーーーー。

 

-----うっすらと白い天井がみえてきた。

「なにが起こったんだ?」
「あの映像に、ひとの姿はなかった」
「あの場にいたひとたちは、無事だろうか?」
「どうか、避難して無事であってくれ!」

ベッドに横たわる大人のヒカルは、子供が受けた衝撃を引きずっていた。
「夢、か...」
“ゆめ”と呟きながらも、映像が頭から離れなかった。そして、人々の無事を心配する気持ちも収まらない。
胸騒ぎがする。

不愉快な夢のストーリーを書き換える。この大人の特技であったが、それも出来ずに夢から覚めてしまった。
「あれをどうやって、ハッピーエンドのストーリーに出来たのだろう」
「ひとの姿が見えなかったのは、すでに避難していたから。あぁ、ほっとした!...というくらいだろうか」
「あの悲惨な光景は、とてもハッピーエンドにまで、もっていけそうにない」
「それにしても...、まだ胸騒ぎがおさまらないな」
「いやぁ~、衝撃的な“夢”だった」
そのように自分を納得させようとしている大人がいた。

 

だがしかし、この“ただの夢”は、それから何年も脳内から消えない夢となるのだった。

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これはね、序章。

 

まぁ、ただの物語ですからね。
「この世のおわりじゃ~」なんて、悲観的な感情に没頭しないでくださいませ。
小説に没頭しすぎて、実際の人生を台無しにする、なんて、愚かでしょう?

 

ひとの話を自分のこととして受け止める』秘法の発動にも期待しています。

想像力をもっと大切にしていただきたい、そんな想いもあります。

天からのメッセージかどうか、判断のご参考になるかな、も、あります。

何でもかんでも、「これは、天からのメッセージだ!」なんて、思い込んではいけません。
もしも、天からのメッセージならば、そのあとに裏付けのような出来事や、さらなるメッセージが届きます。私の経験では、ね!

 

ひとは、都合よく物事を解釈しがちなのです。
その傾向は、多くの人に見受けられ、わたしには、おそろしく感じるほどです。
“みぎ”と伝えたのに、「“ひだり”と言ったじゃないか!」なんて、真逆になっていることもあるのです。あぁ、おそろしい笑

 

「どうせ、この世が終わるなら、盗んだっていいじゃないか」
災害が起きた時や、予言の発動時に犯罪が増えるのは、悲しい事実です。
『未来はきまっていない』
これを忘れていたり、都合よく忘れたことにする人もいます。

 

どんなときにも、じぶんの心を見失わないことが大切。
天はみている。そして、あなたの内奥のこころも視ています。
内在神(心)は、天よりもじぶんに厳しいのでは?う~む、人によるのかなぁ。わからん。

 

さて、この“夢”をみたのが、じぶんだったなら...?

 

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Posted by Hikaru