スピリチュアル人のあやまち
スピリチュアルな人々に、ケンカを売っているわけではありません。だから、一方的に買わないでね~。
学び始めのひとに多い、勘違い。
これはね、あるあるなのです。
スピリチュアルな世界に触れはじめたとき。
「やったー!なぞが解けたぞ!」感もあり、おもしろくなる人が多い。
なぞが紐解け真実がみえるのは、たしかに、おもしろい。
未知の世界を知るのは、おもしろい。
ただね、学びを勘違いするひとは多々、いるのです。
たとえば、ね。
『じぶんの心に正直になること』
これは、精神世界では重要なポイントです。
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睡眠時間がとれないほど、仕事が忙しい中。
Aさんから「どうしても、いま話しておきたいことがある。喫茶店で待ってて。すぐ行く」と、声をかけられました。
連絡もない中、喫茶店で2時間待ちました。
ようやくAさんがやってきました。
「急な仕事!疲れた~」謝罪は一言もありません。
さて、Aさんの“はなし”とは?
「セラピスト養成学校の宿題に協力してほしい」でした。
話ではなく、頼みごと、とは!詐欺師か?!
頼むのに2時間待たせて謝罪もないとは、良識がないなぁ。
日頃の自分への態度から、これは“協力”ではなく“利用”であろう。
そのとき、Aさんの守護霊様が小さくなりながら謝っているように感じたのです。
応じるか、仕事に戻るか、一瞬悩みました。
ムカつきましたが、なにか意味があるのだろうと、帰らないことにしました。
「“協力”ならば、よろこんで」←天にも、言霊で伝えました。
宿題が終わったとき。
「共に学ぶ人達がスピで、色々な話を聞ける。気付きがあり、とても楽しい」
「ヒカルさんとは、自分が楽しくなる内容なら、話をしてあげてもいい...かも、しれない。...う~ん、“かも”だなぁ」
わたしは驚きましたが、微笑んで応えました。
「そうですか。じゃ、仕事に戻りましょう」
『...Aさまオレ様とお話したい!なんて、だれが言った?なんという傲慢。恥を知りなさい!』
あぁ、かわいそうなAさんの守護霊様。
さらに、ちいさく、か細く“すみません”と、うなだれているように感じました。
※すかさず、わたしの守護霊様が“ヒカルは気が強くて、すみません。お互いに大変ですね”とフォローしてくださったようでした。...スミマセンね、不出来な子で。
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言霊にしたのは、他者を利用する者、誠意を感じられない者に、ムッとしたから、条件を付けたのです。
“協力”であったなら、ひとを救う学びのために、お役に立てることを感謝して、受け入れましょう。
“利用”であったとき、“利用”“騙す”という負のエネルギーがAさんの身に返ります。
わたしも、まだまだ未熟者ですからねぇ。
ちゃんと気持ちを切り替えて、純粋に、お役に立てるよう努めましたよ。あ、なおさら返るねぇ。
セラピストへの道のり、Aさんは困難を極めることでしょう。
Aさんがあまりにも気の毒なので、わたしのコーヒー代(なんと1杯のお代で飲み放題!すごいね)は、払わせてあげました。
金銭というエネルギーで償わせたのです。
ほんのわずかでも、これからやってくる、天の手厳しい指導が緩和するように。学ぶものの情けです。
さて、紐解いていきましょう。
正直とは、『じぶんの心を偽らない』こと。
他者に対して、なんでもかんでも鉄球をぶつけること(=傷つけること)、が真意ではないのです。
自分がじぶんの心を誤魔化さないこと。
- 他者には、正直に伝えるべきかどうかを、自分のこころに問うのです。
こころに問うのは、自分本位、衝動的ではなく、他者への愛を本質とするためです。こころは愛を知っているのです。
ときには、“うそ”がひとの心を救うこともありますよね。
- 相手のためを想って、厳しい言葉を伝える必要があると自分の心が示すのならば、いかに傷つけずに伝えられるかを考える。
じぶんだって、傷つくこと言われたらイヤでしょう?
わたしにもあるのですよ。
「傷つける言い方しか出来なかった。じぶんが未熟なばかりに、申し訳ありません」
そんな、反省が多々ね。
正直とは、『こころ正しくある』こと。
人を救う学びのための宿題。
「あのイヤな奴が頭に浮かんできた!」
「じぶんの目的のために、アイツを利用しろってことか!」
おやおや、ズレまくりですねぇ。
他者を救うための学びを、他者を利用して収めさせようと、天が動くでしょうか?
なぜ、好ましく思わない人が浮かんできたのか、を、心に問う必要があるのです。
こころ正しくあるとき、こんなことに気付けます。
- “イヤ”な原因を、相手ではなく己の内側に見いだす。
他人へのイヤ感は、過去の経験や自分のイヤな所が影響していることが多いです。
このような、己の課題をひとつひとつクリアしていく経験が、相談者の悩みをクリアするお手伝いに活かされる。
そして、自分のトラウマを通して相談者をみるのではなく、クリアな自分が相談者自身に焦点をあてられるようになるのです。 - イヤな相手であっても、お役に立てるよう、真摯に誠実に向き合えるか。
天から試されることもあります。 - セラピストは“してあげる”のではなく、“させていただける”。感謝に気付く。
Aさんを通して、ひとの傲慢さに気づけましたでしょう?
Aさんの気づきは、いつになると思いますか?
「話をしてあげてもいい」から、「話す機会を与えていただいた」に切り替わる時でしょうねぇ。一事が万事。
はたして、この違いに、気づけるだろうか...。
今回の話はセラピストですが、どのようなことでも、だれでも、同じですからね。
もしかしたら、わたしもスピ?な人間ですから、仲間が話す以外の面白い話や、今後に有益な話が聞けたかもしれませんね?「話したくない」などと言わなければ、ねぇ。
さて、ここでのわたしの学びは?
- 利用しようとする者に、“まごころ”で返せるのか。
- 利用と協力の違いを学ぶこと。
- Aさんのように、勘違いしている人々が道を誤らないように、こうして後々、お伝えできること。
- 勘違いした人によって傷つけられた人々に、「あなたは傷つかなくていいのです。まだ、新人さんのすることですから、温かく見守ってやってください」と、お伝えできること。
...まだ、気付いていない学びがあるかも?
スピリチュアルを学ぶ人は、純粋なのです。素直なのです。
それは、とても素晴らしい。
ただね、学んだことを勘違いしているかもしれませんね?
いやぁ、かく言うわたし自身も、勘違いしていることは、あるでしょう。この世にいる限り、未熟者なのですから。
「これは、正しいのだろうか?」
この意識が、ただしく学びをおさめていけるよう、導いてくれると思うのです。
雑多な人間が同居する 人間界においては、さまざまな情報があります。
ただしく学ぶこと、頭の中だけでなく、実社会の中でいかにいかせるか。
これが重要なのではないかな。
慢心せず、謙虚に、学んでいきたいものですね。
はて、なんのために、学んでいるのかな~?