ひとは、変わることができる

ただし、絶対条件があります。

 

『三つ子の魂、百まで』
このような言葉もあります。
もって生まれた性格や性質は変わらない、という意味ですが、これは“まやかし”。

 

ウザい人である私は、家族に手を洗おうねと、コロナが流行り始めた3年半前から言い続けました。
しつこいでしょう?笑。神さまも根負けしてくださるしつこさ。我ながらホントすごい。

「あなたも、周囲の人も、守るためだよ」
「じぶんのせいで、誰かが身体を壊したり、後遺症を負ったり、最悪亡くなったら、罪悪感に苛まれて、後悔するでしょう?」
なぜ言うのかを、たびたび、伝えています。最近はコロナも弱くなりましたけどね。
ところが、いまだに「お前がうるさいから、洗ってやっているんだ」から、離れません。
だから、わたしが見ていないときには、手を洗わないこともあります。

 

洗った包丁の置き方が危ないので、「先端は見えにくいから、誰かがケガしてしまうよ」と伝えました。
「うるっさいなぁ、大丈夫だろ」

ある日、ふいに手を伸ばしたところ、ザクッ!指に包丁が刺さりました。
『ケガしたのが私で良かった。神さま、ありがとうございます』
血だらけの指を手当てしながら、神様に感謝しました。

それから家族は、包丁の置き方を変えてくれるようになりました。

 

これまで、共に生きてきた中での関係性や、積み重なったおもいから、素直に受け取ることが難しいのでしょう。
「エラそうに言いやがって!」と、言われることもありますよ。エラくないのになぁ。

 

最近、気づきました。

誠意をもって伝えれば、伝わる
そして、真意が伝われば変わってくれる、と思っていたのです。
これが、わたしの思い込みであり我欲であることに。

 

伝えることは、大切。
「気付かなかった!なるほど。はやく言ってよぉ~」も、あるから。ちなみに、わたしは言ってほしい人。

聞いた人が、どのように受け止めて、どう行動するか、これは本人の選択
たとえ、不愉快な事態になろうとも、本人が選択した結果なのです。

不愉快な事態を阻止したい、という想いは、わたしの傲慢さからでる我欲。
はがゆいことは、多々あります。
「どうしよう」慌てふためく姿を、「言ったのに!」と怒ることも、多々ありました。

それでも、本人の選択を尊重するわたしの課題ですね。

結果は、受け止めてもらうしかない。
なぜなら、おこる出来事は、本人の魂を磨くためだから。

 

ひとが変わるための絶対条件とは、『本人が「かわりたい」と望むこと』

過去のクセがでることもあるでしょう。
「変われないなぁ」と、落ち込むこともあるでしょう。
それでも、「変わるんだ!」と意識していると、いつか、望んだ自分へと変容を遂げています。

 

わたしがブログでお伝えすること。
「未熟者がなにを言ってやがるんでぃ!」
そう感じられる方も、多くおられることでしょう。家族のようにね!

それでも、未熟なわたしの体験や考えかたを通して、あなたの内なる心がなにかを感じ、

“こころが癒され”
“じぶんという魂を磨き”
“しあわせな人生をいきる”

そのような一助となれるよう、これからも書かせていただきます。

 

未熟者だからこそ、“のびしろ”がまだまだある!とも、言える~♪
ざ!プラス思考!!

 

前向きにいきましょ~!

 

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日々、生きてる

Posted by Hikaru