植木の剪定

剪定って、むずかしいのです...。

 

植物って、手を加えなくても不思議と美しく育ってくれます。
でも、家の中の鉢植えだと、やはり手入れは必須ですよね。
枝が伸びすぎて、大きくなりすぎないようにしたり。
下の方の葉っぱにも陽が当たるように、もさもさをスッキリさせたり。
外で育てていたなら雨で落ちる葉っぱのほこりを、濡れた布巾でやさしく取り除いたり...。

 

今日は、家で育てているガジュマルの剪定をしました。

あたたかくなってくると、元気にどんどん新芽が伸びて、あっという間にもっさもさになってしまいます。
花物は、剪定時期や育て方を、ネットで調べたりはしています。
ですが、うちの10年来の付き合いになるガジュマルは、調べもせずに、早め早めに気になる都度、芽をとっています。

ガジュマルは、葉っぱや枝を切ると白い粘液がでます。
枝が太くなると、その分、大量の粘液がでてきてしまうのです。
それが血液のようで、「いたいかな?いたいねぇ、ごめんねぇ」と、思いながら切ることになるので、伸びてほしくないところは、新芽の内に摘むようにしているのです。
少しでも放置してしまうと、細い枝くらいになってしまうので、放置した本日は剪定です。

 

剪定って、素人には毎回むずかしいんですよ~。
初めての剪定では、誤って“主軸の幹を切る”という失態をしてしまった私でありました...。

同じ失敗をしないように、きちんと正座→ガジュマルさんと向き合う→切る。
もはや『神聖な儀式』です。

植物という生態系の存在を、自分が思うように育ってもらうために身を切らせていただくわけですから、ある意味、正しいのかもしれませんけどね。
今回も、先ずはガジュマルさんの前に正座。
すこし離れたところから見て、全体から飛び出てしまっている部分を確認。
主となる幹から、同じ高さのところに出ている枝と長さを合わせ、切りました。

 

剪定、手入れって、『ひとにも必要かもしれないなぁ~』と思うのです。

主軸となる自分という存在に、この世でのさまざまな体験が、枝となっていく。
『体験したら、この学びはおわり!』というものでも、『ぐずぐずと過去の体験を引きずって』しまい、それが『余計な枝』となる。
すると、あたらしい葉っぱに必要な陽が当たらなくなって、幹そのものが元気をなくしてしまう。
葉っぱに積もるほこりは、『知らず知らずのうちに犯した罪』や、悶々とした想い』『その身に日々受ける悪意やよくない情報』、かもしれない。
もさもさで、スッキリしない。
美しくない。

 

幹にとって必要なところに、必要な枝がしっかりと伸びて、葉が青々と茂り、『元気で美しく』みえるのです。

 

経験の剪定を
してみよう

こころの剪定を
してみよう

 

本来の自分が
いきいきと
元気に育つように

 

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Posted by Hikaru