天賦の才
まさか、天才をうらやましがったり、していませんよね?
『天賦の才』
天から
与えられた
うまれつき
そなわりし
才能
ひとは、そのような才能のある人を『天才』と呼びます。
天才が身近にいるとき。
「すごいなぁ~、すばらしい!」
羨望のまなざしを向ける人もいます。
「じぶんは努力したって、あんな風になれない」
「じぶんとは、もとが違うんだ」
「かみさまは、不公平だ!」
「くやしい!」
じぶんと比較して、さまざまな感情を抱く人もいます。
天才は、非常に迷惑です。
「まったく、何もしなかったワケじゃないのに」
「一方的にイヤな感情をもたれる」
さて。
天才って、なんだと思いますか?
ここからは、個人的な意見です。
わたしはね、努力家だと思うのです。
楽しく努力したか、苦しく努力したかは、ひとによって異なりますが、ね。
多くの人は、大した努力もせずに、ヒョイヒョイ出来てしまう人を、“天才”として別次元の存在のように扱います。
「恵まれたひとなんだ」とね。
前世が存在することを知っている私は、思うのです。
「今世と過去世、どれだけ、この人は頑張ってきたのだろう」
「今世で花開いて、よかったね!」
「天才と同じ世にいて、いい作品に出会えた!ありがとう!」
前世の記憶は、多くの人が忘れています。
天才本人ですら、忘れています。
この世に生を受けたときからの努力しか、知りません。
だから、「天が与えたのだ」と、誤解をしている。
魂は、過去世での経験を覚えています。
この“魂の記憶”こそが、天賦の才。
ズバリそのものの経験もあれば、生かせる経験をしていることもある。
天が与えるものも、モチロンありますよ。
本人が望むのであれば、その道を歩むサポート!
背中を押してくださったり、機会を与えてくださるのです。
どうです?
比べてしまう人は、まだ、うらやましいと思うかなぁ?
天才は、いくつもの前世で、おなじことをやり続けた人かもしれないのに。
うんとうんと、長い年月を費やしてきたかもね。
めちゃくちゃ厳しい努力をしてきたかもね。
天才と比べて、好きな道をあきらめてしまうひとは、もったいないと思いませんか?
だって...、
来世では、“天才”として生まれてくるかもしれないのです!
ぶっちゃけ、才能なんてどうでもいい、ですけどねぇ。
ただしく自己評価して、望む道を生きられたら、いいのでは?
たのしいこと、やりたいこと、それが、人生の道しるべなのだから。
比べる必要なんて
ないのです
あなたは
あなたの好きな道を
歩めばいい
そうして
いつか
きっと
花咲く日が
来るでしょう
信じて
歩いていきましょう