呪縛を解け その1~悪魔のワナ~
己の自由が奪われる、あなたにかけられた呪いの言葉はありますか?
言葉によって、目に見えない縄が絡みつくことがあります。
なんども重ねるのは、洗脳といいますね。
縄の強度も、絡まる時間も、人それぞれ。
『呪縛から解き放たれて、自由を手に入れませんか?』
解くためには、まず、呪縛にかかっていることを自覚すること。
驚かれるかもしれませんが、たまに気付いていない人もいます。呪縛が当たり前の状態になっている。
生きづらいでしょうに、ね。
できれば、呪縛の背景もわかると、さらに解きやすくなると思います。
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「おまえを愛する者などいない」
これは、わたしにかけられた呪いの言葉です。
物心ついた頃(3歳くらいかな?)から、大人になってさえ、“忘れるな”とばかりにかけられた言葉。
不思議に感じるかもしれませんが、言葉を発する側に、洗脳の意図はありません。
なぜかムカつく、腹が立つから、同じ暴言を発する、だけのことなのです。
ところが、なんども受け取る側には、これが洗脳となります。
幼い頃、わたしを可愛がってくれた祖父がおりました。
商店街に買い物に行くときには、必ずと言っていいほど、私を連れて行きます。
わたしを好まない家族の中にひとり置いていけず、外に連れ出してくれたのでしょう。
幼い私は、多くの人から愛される容姿でした。
商店街にいくと、「お人形さんみたいで、かわいいねぇ!これ、美味しいから食べて!」買い物をするお店や買わないお店の人たちまでもが、沢山の野菜や果物を袋に入れて、サービスしてくれます。ときには、すれ違う他の買い物客から頂くことも。
貧乏な家庭にとって、食料をタダで頂けるのはありがたいはずですが、家族からは感謝よりも、周囲からチヤホヤされる存在への嫉妬、祖父が私だけを連れていく不満の方が、勝っていたようです。
祖父のいないとき、たびたび親から言われました。
「おじいさんにとって、おまえは見せびらかしたい“お人形さん”なんだ。“愛”じゃない。...ったく、お前なんかより、上の子供達の方がよっぽど可愛いんだよ!」あれ?どこぞの物語のようだね~笑
幸か不幸か、わたしは子供の純粋な心と、大人の冷静な思考をもって生まれました。
純粋なこころだけであれば、いとも簡単に洗脳されていたかもしれませんね?
大人の思考がなければ、もっと子供らしく、可愛がってもらえていたかもしれませんね?
大人の冷静な思考によって、言葉の真意に気付いていました。
「あぁ、そうか。じぶんを愛する者がいないのではない。この家族が、わたしを愛していないのだ」
5歳の頃、祖父は別の家族と住むことになりました。
家の中で、わたしにとって唯一の護り手であり、唯一愛を向けてくれる人間の喪失は、幼いこころに深い悲しみをもたらしました。
毎日、もう二度と会えない人を求めてしまうのです。
前を向いて生きられず、過去に囚われた状態。
大人の思考は、幼い心を守るため、自己暗示をかけることにしました。
“祖父は、もともと、いなかった”
あたたかな思い出を、こころの奥深くに封印したのです。※知りたくなったときに困りますから、完全封印は止めましょう。
前世では、沢山の修行者経験を積んでいましたから、ね。魂が覚えていたのでしょう。
大人になり、ただ静かに横たわる祖父に再会(封印解除のトリガー)しました。
祖父の家族は元々、わたしに会わせる気は全くなかったそうです。
祖父が意識もなく寝たきりになり、寝言のように単語を発する状態になったとき、わたしの名前を何度も呼んでいたので、亡くなる前に会わせてあげよう、と決めたそうです。
再会するまで、愛された思い出、すっかり記憶を失っておりました。我ながら、見事!笑
集団生活に身を置くと、自分を傷つける者、離れていく者が現れます。
傷つかないよう、この呪いの言葉を利用しました。
「共にいる家族でさえ愛せない人間なのだから、他人に愛されないのは当然。傷つくことではない」
ひとは、言葉が本当かどうか、事象によって確信につなげていく傾向があります。たとえ、真実でなくても、ね。
呪いを利用することで、逆に、呪いを真のモノとしていったのです。
これらは、悪魔のワナです。
かからなかった呪詛を、あの手この手で、まとわりつかせようとします。
そのために起こる出来事。
まるで、蛇が獲物をゆっくりゆっくりと絞めていくように...。
さて、どうしたら縄が解けるでしょう?
あなたならどうするか、考えてみてくださいね~