呪縛を解け その3~縄を斬る~
ついに、縄の解き方です。
これからお伝えする方法に、こだわる必要はありません。
これが正解!と、限定されるものではないのです。
ご自身で解く方法を思いついたなら、是非やってみてください。
あなたの呪縛が解けるのなら、なんだっていいのです。
呪縛がゆるいひと。
かかり始め、解く終盤のひと。
根気強いひと。
こういった人に有効な解き方です。
題して『開き直り大作戦!』ドンドンドン、ぱふぱふっ!
“おまえには~、呪縛がかかっておるぅ~”
「ア、クマか。あっそ、で?なに?」
“へ?あ、あのぉ、呪縛が...”
「つーか、呪縛にかかってる、それが、なんだっての?!」
“ひいっ、鬼が出た~!...ふえ~ん、大悪魔さまぁ~~~”
「こわっぱめが。簡単にかけられると思うなよ」あぁ、わたしオニですねぇ~。あ、クマ君いじめてますねぇ~。
かかっているのを自覚した上で、流すのです。「だったら、なにさ?」の立ち位置。
呪縛にかかったからといって、真に受けない。
深刻になって焦点をあてすぎてしまうと、縛りが強くなる可能性もありますからね。
強い呪縛のひと。
長年、呪縛に囚われたひと。
こういった人に有効な解き方です。
題して『ホトトギス大作戦!』え?題さなくていい?ちょぴり遊ばせて♪
“解けぬなら、解いてみせよう、この呪縛!”
「呪縛を解いてやるっ!」そのように、決意するのです。
いままでと違って、タイトルが強めだったでしょう?強い意志が必要だから、です。
「解けるかなぁ。じぶんには出来ないかなぁ」などという、スキを作ってはいけません。
じぶんなら、解ける!そう、信じてください。
天からさしのべられた、救いの手をみつけてみてください。
宝物さがし、しましょう。みなさんの大好きなゲームですよ!
じつは、沢山の救いがあったことに気付きます。そして、みつけたなら、迷わずに手を掴むのです。
原因となるモノがわかるなら、それが真実かどうか、探るのもひとつです。
大抵は、一過性もしくは、裏があります。表面的なものだけ捉えるから、傷ついてしまう。
真実をみる目を養うのです。
救いがないように感じられるとき。
目隠ししているか、自ら手を振り払っています。
私の例を挙げますと、かけられた呪縛が強すぎて、向けられる好意への恐れや猜疑心が生まれる可能性があります。※私の例:『呪縛を解け その1~悪魔のワナ~』『呪縛を解け その2~救いの手~』
友人を作らないかもしれません。また、友人ができても、信頼しきれないかもしれません。
そこを乗り越える勇気が必要です。
また、友人に裏切られたとしても、「やっぱり」ではなく「中には、いるよね」と、思うこと。
呪縛が強いと、ひとつのケースだけで判断してしまう。冷静になれば、人それぞれだと、わかりますでしょう?
救いがないように感じられるとき。
その経験がカルマの解消であったり、魂の成長に必要なものだった場合、ある所までクリアしないと、手をさしのべていただけないこともあります。
私の例を挙げますと、この経験によって“真実の探求”が強まったのです。
この経験によって、目に見えないものに対して、より意識を向けることになりました。
神さまという存在へ意識を向けること、植物たちの優しいエネルギーを感じること、会話ができない動物たちの想いを感じること...。
この呪縛でさえも、天の愛かもしれないのです。※『もしも、これが“愛”ならば...』
呪縛を解くことを諦めないでください。救いの手は、必ず差し伸べられます。
つよい呪縛の場合、縄を解いても余韻が残ります。
フとした時に、思い出してしまうのです。
そんなときは、自分の傷跡をやさしくさすってあげましょう。
そんなときは、救いに意識を向けましょう。
「もう、だいじょうぶ」
余韻が再び形を成して、じぶんを縛らないように、気をつけましょう。
“だいじょうぶ”
解けない呪縛なんて
ありません!
あなたの魂は
聖なる存在であり
あなたを
護る存在もいるのです
こころ強く
あってください