日々を大切に生きる
大切にって、どういうこと?
わたしは、日々日々、たくさんの選択をしながら懸命に生きてきました。
後悔の少ない人生をいきようと、これが最善!という選択を常にしているのです。
ときには、なにも選択しない、という選択も含めて、ね!
だから、人生における後悔は少ないのですよ。
だけど、「しあわせな人生か?」というと微妙...。
しあわせな人生、歩みたいですよねぇ?
1秒でも早くこの世を去りたい、なんて何十年も思い続けた私は、毎日を必死に生きてはいても、ありがたいなぁ幸せ者だなぁと感じることはあっても、達成感はあっても、生きること自体を“しあわせだなぁ”と感じることは、なかったのです。
だって、生きることはツラいこと、苦行でしたからねぇ。
いまでもツラく感じることは、ありますよ。
衝撃的な事でも起きない限り、長年慣れた意識をスッパリと断ち切るのは難しいものです。
人生において衝撃的な事って、そうそうあるわけではありません。
でもね、気付いたならば軌道修正が可能。「いか~ん!楽しく生きるのだ!」と意識的に切り替えています。
命の危険に晒されず、衣食住もある。
愛する存在がこの世にいる。
状態が続くと、あたり前に感じますね?
あたりまえに感じられることこそが、幸せであること。
わたしは、まだまだ日々の感謝が薄い人間ですが、これが肝だという感覚はあります。
あたりまえの奇跡シリーズは、天の“気づきなさい”というメッセージなのでしょうねぇ。
『あたりまえの奇跡~誕生~』
『あたりまえの奇跡~なぜ生まれてきたの~』
『あたりまえの奇跡~出会う人々~』
『あたりまえの奇跡~愛~』
日常におこる出来事もまた、幸せであること。
淡々と同じことの繰り返しに感じる日常は、続くと生きる価値を見い出せなくなっていきます。
多少の変化があるほうが、生きている実感が湧く、というわけです。
それが、愉快な出来事でも、不愉快な出来事でも、ね。
必死に、一生懸命に日々を過ごすことは、必ずしも幸せな人生に繋がらない。
一生懸命生きるのと、大切に生きるのとは、チョット違ってた!これは、衝撃でしたよ。
なんでもない1日を感謝して過ごすことが、大切にしている、ということ。
懸命に生きることができた1日を感謝することが、大切にしている、ということ。
感謝することに気が付くことは、魂の成長であり、しあわせなのです。
日々の感謝が、この世の生を感謝することに繋がっていくように感じます。
1日1日が幸せであれば、1ヶ月が、1年が幸せな日々になります。
それは、振り返った時にしあわせな人生となっている、ということ!
1日の終わりに、感謝を天に伝えてみませんか?
日々の感謝は
あなたの内に
聖(生)なる
根をはります
やがて
聖(生)なるものは
枝となり
葉となり
実となり
あなたという
樹が
育つのです
その実は
自らにも周りにも
恵みをもたらし
あなたは
よろこびに
あふれることでしょう
瞬間瞬間が
あなたにとって
輝きのある
生となりますように
しあわせを
生きられますように