弱きものよ
強くなりたい?弱いじぶんがキライだった私ですが...。
身体的なものは、努力すれば目に見える結果を得やすいですよね。
筋肉の量や質、多少のことでは息切れしない体力、対戦相手を負かせられる技術。
とても分かりやすい。
こころの強さとは、何を指すのでしょう。
他者の言動で簡単に傷ついたり、こころがポキポキ折れたり...。
そんなとき、「じぶん弱いな」と感じることでしょう。
「よし!強くなるぞ!!」
決心して様々な努力をしたところで、へこむ出来事があると、また、気付くのです。
「まだまだ弱いな、じぶん」
こころを鍛えた結果は、目に見えにくいもの。
過去に傷ついた体験と似たような体験をしたとき、「あれ?大丈夫だな」、これが強くなった自分を確認できるひとつではありますが、そうそうチャンスはありません。
しかも!
鍛えられた、強くなった、と思っていたのに、前より弱くなったように感じる瞬間もあります。
逆に、弱いひとが誰かのために突然強くなれることも、多々あります。
「あれれ?弱いはずだよね?」
周囲の人間はモチロン、自分でさえも驚くくらいの強さが湧いてくる。
こころの強さと弱さは、自分という軸の光と影。
よわい、つよい、は一時の決めつけでしかなく、その質も量も変化する。
この世にいる間、どちらか一方であり続けることは出来ないのではないかな。
左右させる感情というものが備わっているから。
強靭な精神力は、手に入らないのか?
いまのところ、強靭までは“難しい”が私の結論です。
どちらかが重くなれば、すぐに引っ張られてしまうのですから。
この傾きに気付けるかどうか、は、強さを維持するのに影響するとは思いますがね?
弱さを認めたところから、スタート。
認められるのは、勇気であり、強さです。
そして、もっと強くなりたいかどうかを選択する。
強さを選択したら、どうすればいいかを考えて実行する。
しばらくすると、弱い自分が表れる。
弱い自分を認める...。
これを続けるのです。
残念ながら、弱さがなくなることはありませんでしたけどね。
感情も消えないでしょう?一緒では?
それでも、鍛えていれば弱さの質は変わり、強さを長く維持するのは可能ではないかな?
まぁ
結局は、さ
弱さがあるのが
“人間らしさ”
では?
いいんですよ
弱くたって
必要な時に
強くなれれば
いいのさ!
立ち上がれ!
はばたけ!
そうして
いつしか
誇れるじぶんに
なっていることでしょう
弱かろうが
強かろうが
じぶんが
じぶんを
誇らしくおもえる
それが
だいじなこと