やりたいこと
これは、イキイキと生きるためのキーワード。
『じぶんに出来ることは何だろう』
幼い頃から、幾度となく繰り返された問いかけ。
正義感や責任感強めなわたしは、出来ることとは使命だとさえ感じておりました。
その能力を与えていただいてるってことだから。
できることでも、最初から「やだぁ~」と思うものはやりませんけどね。感覚は大事にしようね!
じぶんに出来ることがあることの感謝や、実行させていただける感謝、それが自分のやりたいことである、という想いもあります。
ところが、やりたくてやっていても、使命であれば重圧や苦しさを伴うこともあります。
楽行をはじめて、「決めたことだから」と道を貫き通す力技はやめました。
初心に帰り、見直しを図り、手段を変え、時には方向転換も。これは、ツラさを軽減させます。
でもね、なにかが違うなぁ...。
ラクさが足りない。過程での負担を軽くするだけ。
おぉっと、スタートが違うのかっっっ!
“できること”から入ると、苦しくても出来ることが含まれる。これは、重たい。
結構、途中から義務的でしんどくなりがちなのです。
“やりたいこと”から入れば、楽しさからのスタートが切れるのです。
るんるんなわけですよ。羽がついていて軽いでしょう?
道を歩けば苦労することはあるでしょう。スタートがどちらでも同じ。
だけどね、重たい荷物を背負って山を登るのと、ワクワクしながら軽い荷物で山を登るのと、どっちがラク?
足取りは、後者の方が軽いでしょう。
落石があっても、後者ならヒョイと身をかわす余裕だってある。
体力が同じでも、負荷が変わるってことは...?
ひとには、得意分野がありますね。
じぶんが苦手とすることを得意とする人もいる。
だから、ムリしなくていいんじゃないか、得意な人にお任せする、頼るもアリだよね?
各々がやりたいことで能力を活かして、補い合う。全体が負荷なく調和する。
やりたいことって誰しも同じではないから、うまく嚙み合えば、これって、みんなハッピーなのでは?
何十年もの思い癖があるので、できることという問いかけは、いまだに脳内に湧きますけどね。
おっと、やりたいことであったな、思い直すようにしていますよ。
『やりたいこと』
その鍵を手に持つ者
いくつもの扉の中から
鍵によって
開かれる扉
歩を進めた先には
また
新たな扉が用意される
開かれた扉の先には
光の道が広がる
道をあゆんだ
先にあるものは...?
教えないよ
だって
それは君の
お楽しみ!
だからさ