ウザイひと その2 くじけずに、やらにゃ~ならんのだ
ウザいと言われても、言い続けなければならないことも、あります。
わたし、家族から「ウザイ」と言われます。
※前回記事『ウザイひと その1』もよろしければ、お読みください。
コロナ渦において、帰宅後の手洗いは必須です。
コロナが始まった頃は、どんな悪さをするのか分からず、海外の亡くなる方々や混乱する場面を報道されて、不安でしたよね。
その頃、我が家には、手洗いの習慣がない家族がおりまして、習慣づけるために、帰宅後に毎回確認するようにしました。
わたし「手、あらった?」
家族「まだ」
手を洗いに行く家族。
わたし「洗剤つけて、あらった?」
家族「つけてない。水で洗ったんだから、いいでしょう?!」
わたし「洗剤で洗わないと、菌が落ちないよ~。菌が、このあと触ったところに、ついちゃうよ?」
家族「ったく、うるさいんだよ!そんなにコロナが怖ければ、病院の無菌室にでも入ってろ!!」
わたし「う~ん、病院の無菌室に入って、可愛いペットと会えなくなるくらいなら、私はSi(し)んだ方がいいな」
そのあと、怒りの熱が冷めない家族は、他の同居する家族に、私に対する怒りをぶつけておりました。
家族「あいつは私に“Siね”っていったんだよ!!!」
※この家族は、私に対して好意を持っておらず、自分には悪いことしか言わない人間という『心のフィルターがついている』のです。
他の家族「あいつは、“自分がSiぬ”っていったんだよ」
※第三者として聞いていた家族は、フィルターを通していませんから、正確です。
手を洗わせようとするだけで、大変な騒ぎです。
さて、『相手のためを想って言ったことが、悪意に取られてしまった』
“あなたなら どうしますか?”
もう、言うのやめちゃう??
やめちゃったら、手を洗わなかった家族を含めて、家族が苦しむことになるかもしれないよ?
後悔しない?
手を洗わない家族も含め、同居する家族、家族が接する人々をコロナ菌から守るために、わたしは、それからも毎日ききました。
※自分軽視の私は、自分のことはどうだっていいのです。ほんとはこの意識、良くないんですけどね。。。
わたし「洗剤で手、洗った?」
家族「いま洗ったよ!見てなかったの?!ったくもう!あんたがうるさいから、ちゃんと洗ってるよ!!!」
わたし「ちがうでしょう。あなた自身と、同居する家族のためだよ。ひいては、家族がかかわる人たちもね」
さてさて、しばらく時が過ぎ、『そろそろ洗うのが習慣になったかな?』とおもって、言うのをやめました。
ところが! 言うのをやめてすこし経つと、手を洗わなくなるのです。
まずは水洗いだけになり、その後は水洗いさえ、しなくなりました。
“面倒くさい”を解消するために、アルコール噴霧器を玄関に設置していましたが、それさえもやってくれません。
わたし「最近、帰ってから手を洗ってないよね?どうして?」
家族「すぐに食器を洗おうと思ったから」「これから掃除するのに水を使うから」
わたし「食器を洗うまでの間に、いろいろ触っちゃうよね?」
家族「ほんっとにうるさい!!わかったよ!おまえがうるさいから、洗うよ!!!」
※コロナ開始から数年経った今でさえ、わたしがうるさいから洗う、のです泣
コロナが始まってからというもの...
わたしは、その家族が家に帰ってから手を洗うまでの間に、触っているであろう箇所を毎日、毎回、アルコール除菌シートで掃除していました。
※最近は、1週間除菌が持続するイータックを使っていますよ!便利~。
何も言わずに、もくもくと掃除していたのです。その姿を、家族も見ているのです。
でも、そんな他人の苦労はおかまいなし、なのです。ちょっと、ムカつきますけどね。
しかも、真意を理解してくれていないので、さみしいものです。
いろいろ思うところはありますが、『習慣にないところから、習慣にさせるまで』は、仕方のない苦労だと、自分に言い聞かせています。
フォローが大変だし、とっても面倒ですけどね。
わたしの方こそ「面倒くさい」と、言いたい気持ちはあるのですよ。
ただ、それよりも、“ひとのために自分ができること”は、いまは習慣化させるために言い続けること、だとおもいますので、やるしかありません。
たとえ、他者にとって“ワルモノ”になったとしても、です。
人生には、そんなことが多々あるとおもいます。
人から
どう思われようと
人から
どんなひどい言葉を
投げられようと
己の内なる“善”が
めざす目的のために
やらねばならないとき
があります
たとえ
誰からも理解されなくとも
真実は
ちゃんと
あなたの中にあります
『真実の光を
感じ続けてください』
道に迷ってしまわないように
やらないひとを
責めるのではなく
じぶんのため
ではなく
ひとを守るため
だからこそ
ウザがられても
言い続けるのです
「手、あらった?」