首がまわらない
言葉を理解するって、難しかったりします。
『首が回らない』
相手がこの言葉を伝えてきたなら、あなたはどのような解釈をして、どんな言葉をかけますか?
“寝違えたのだろうか?”
この言葉は、お金がやりくり出来ない状態でも使われます。
“お金に困っているのだろうか?”
あなたの脳は、この言葉の意味を解釈しようとします。
わたしは苦痛を訴える人がいると、少しでも緩和されるように知識を用いて何とかならないかと、アドバイスしたくなります。
ときには、余計なお世話になってしまうこともあります。多々かも...
適切な提案がしたくても、原因をしっかり把握しないことには、“適切”から程遠いトンチンカンな提案になるってことが、けっこうね、あります。
おせっかいを焼くのは親しい人がほとんどなので、勘違いをしていても、誤解を解かれて笑って許してもらえます。
真心からの発言だということを理解して、赦してくれるのです。
でも、これは相手が優しくて心にゆとりがある状態だから、成り立っています。
それでは、こころにゆとりがない相手の場合は?
「話をちゃんと聞いてない!」勘違いされることもあるでしょう。
「なんで、そんなこと言うんだ!」怒りをぶつけられることもあるでしょう。
こんなお互いに実りのない無益な争い、不愉快な思いをさせるのは避けたいものです。
短い言葉からの解釈は、自分の経験からくる自己解釈。相手の真実でないことは多くあります。
いかようにもとれる言葉は、特に危険。
判断に迷うとき、わたしは質問します。
「どうしたの?」
自己解釈ではなく、真実を知るために情報を得るのです。
それでもね、さらに勘違い発言をしてしまうこともあります。頭が良くないのかもしれません。
誠意をもって接していても不愉快にさせてしまったとき、最終的にはじぶんを赦すことにしています。
善意から発したものを拒否されたとき、悲しくなりますが、学びとして次に活かす。
相手をきちんと受け止めきれていなかったのか、とか、善意の表し方が誤っていたのか、とか、反省をする。
ここで学ばなければ、同じように不愉快にしてしまう可能性があるでしょう?
言葉って、むずかしいですよね。
“察して”という所から、言葉にする時点で一歩進んではいますが、お互いに真意が伝わりきらないことは、多くあります。
だからこそ、会話というキャッチボールをして、伝えあい理解を深めていくのでしょう。
「伝わっている」
「理解している」
それは、過信であり、怠慢かもしれません。
『聞いてほしかっただけ』という人もいますからね、それも会話で探りましょう。
ちなみに、私はパソコン作業のし過ぎで肩こりからくる首の痛み、ゆえに『首が回らない』のでした!
当たってた?