なにもかもがイヤになる
そんな気分になること、ありませんか?
わたしは、たまにあるんですよ。
「も~、ヤダ!」
「勘弁してくれい!」
「なんにもしたくないぞ~」
これって、誰にでもおこりうる気分なんじゃないかな?
なにもかもがイヤって、うつ病の症状みたいに感じる人もいるでしょう。
でもね、そもそも“うつ病”自体が、体の症状として表に現れるから『病気』と診断されるだけで、誰しもがなりうる精神状態だと思うのですよ。
『なにもかもがイヤ』になるとき。
わたしは、まず休息します。
よく眠って
体をやすめて
なにも考えずに
脳をやすめて
ゆっくりのんびり
心をいやして
たまには
仕事を休んだって
いいんじゃないかな
たまには
家の雑事から離れたって
いいんじゃないかな
自分のこころを守ったって
いいんじゃないかな
休息が十分に取れたら、考えます。
『イヤな原因ってなんだろう』
原因を探るときは、“内観(ないかん)”をします。
「なにがイヤなんだろう?」
「どこにひっかかって、イヤなんだろう?」
原因に他者がかかわる場合は、“俯瞰(ふかん)”もします。
「全体からすると、どんな意味があるのかな?」
「他者の立場からすると、どんな気持ちなのかな?」
原因がわかったら、さらに考えます。
「解決策って、あるのかな?」
「どう変化したら、イヤでなくなるかな?」
「イヤなことを、そもそもなくす方法はあるのかな?」
「なくせなければ、どうしたらイヤなことを楽しめるかな?」
この解決策には、主に“俯瞰”と少々“内観”をします。
※ご参考まで『内観(ないかん)と 俯瞰(ふかん)』
「これだっっっ!」という解決策がみつかれば、すぐに行動に移します。
もしも見つからなかったら、「そのうち、きっと見つかるはず!」と、解決策を考え続けます。
このときの注意点!!!
解決策を考え続ける、とはいっても『思考グルグルしない』こと。
グルグルし始めたら、一旦やめる。目の前のことに、集中します。
いま考えても、名案が浮かばないことって、多々あるから。
未来に、「このために、あんな事態がおこっていたのか」が、分かったりもするから。
こころに留めておきながら、目の前の日常生活をおくる。そして、ゆとりのあるときに考える。
イヤなことをそのままにして、「イヤだ~」と愚痴り続けることは、わたしには出来ないのです。
まぁ、愚痴ること自体が、ほぼないんですけどね。
そのままにしておくのって、愚痴りたいが故に『イヤなことを“わざわざ存在させている”状態』なんじゃないかな~、と思ってしまうからです。
あなたは、『なにもかもがイヤになるとき』どうしていますか?
ストレスって存在するの?
愚痴なんて
はるか遠くのもの
日々は
なんだか
ほっこり幸せ
そんな生きかた
いいなぁ~