しあわせの許可
苦行になれている人は、許可していない、かもしれないのです。
『こんなにツラいのに、幸せになんてなれない』
『こんな自分は、幸せになれない』
『しあわせになっても、いいんだろうか』
『まだまだ幸せには、ほど遠い』
『なれない』『遠い』
なんて思っていると、それを自らの意思として、自分がカチッと決めてしまってる状態なのです。
「それのナニがわるいんだ!」
悪くはないんですよ。自由意志ですから。
ただ、そうなってしまうとですね...、『近くにある幸せに目を塞ぎ、目を背け、気付くことさえ出来なくなってしまう』。
これって、とても“残念”だとおもうんですよ。
だって、ね。
『ツラいこと続けたい?』
『苦しいままでいたい?』
もちろん、これらをギュッと握ったままでいたい方も、世の中にはおられます。
『暗い世界にまだ浸っていたい』
そういう想いが存在することも、知っています。
そんなかた、いないとおもいますか?
悲しくて泣いているひとが笑った。
「笑えた...。ようやく笑えるようになったんだ!」
と、おもえるかた。
「“つい”笑ってしまった...。わたしは悲しんでいるのに!」
と、おもってしまうかた。
違いがわかりますよね?
「悲しみなんて、ない方がいい」と、誰しもが口にはすると思うのです。ですが、現実には、
『悲しみから脱出したい方』
『悲しみの中に身を置いておきたい方』
どちらも、いらっしゃるんです。
個人の選択は自由ですから、無理強いはできないのですけどね。
ツラい人ほど、苦しい人ほど、はやく幸せになってほしいのです。
これは、わたしの勝手な“ねがい”です。
とくに“はやく”なんて、ツラい人からしたら、
「じぶんでもわかってるんだよ~、“わかっちゃいるけど...”ってやつなんだよぉ~」
って今頃、思っていらっしゃるんじゃないかと思います。
わたしのワガママ、自分勝手がすぎますよね。ごめんなさい。
...と、謝っておきながらナンですが。
できることなら、わたしの願いを叶えてちょ~だい!笑
いやがられても、おこられても、めげないんだもん!
なんで“ねがう”のか?
それは、わたしが自分を振り返ると、ながいこと苦しみの中に身を置いていたからです。そして、いまになって、ようやくきづいたのです。
「もっと早く、苦しみから自分を解放すればよかった」
「もっと早く、しあわせになればよかった」
苦しい期間が長ければ、幸せな期間は短くなる。
苦しい期間、思考はストップしたままでも、肉体の歳はとってしまっていました。
あたりまえのことですけどね!
アホなんですって~~~。
『苦行の中にも光はある』ので、ツラくても苦しくても、それを持ったままでも、幸せを感じることはできます。
しあわせを感じ続けていれば、ツラさも苦しさも軽減されていくのです。
大切なのは、
しあわせになることを『自分に許可』してあげること
冒頭のように、自ら制限しないでさ。
しあわせになっても
いいんだよ
しあわせになろうよ
幸せを願う応援団もいてくれる
だいじょうぶ
しあわせに なれる