手料理にしらずに入るものって な~んだ?
料理を作るひとには、知っておいていただきたいな。
料理をする人って、世の中に沢山いますよね。
わたしは、仕事のおつきあいで外食が多く、料亭やら会員専用のお店やら、自分では行けないお店に連れていっていただいたこともあります。
多忙だったため、コンビニやら近所の定食屋さんも、多く利用させていただきました。
料理上手な方って、ホントに沢山いらっしゃいます。
新鮮な食材に調味料。
『視覚、嗅覚、味覚』
敏感なひとは、中にどんな材料が入っているかまで、わかる。
再現できてしまう人もいるくらいだから、スゴイことです。
さて、タイトルの答えは、わかったかな?
食材、調味料は意図的にいれるので、“しらずに入る”ものには、該当しません。
『では、なんでしょうか?』
答えは、『感情』です。
作り手の“想い”とも、いいます。
スピリチュアルな人々には、周知の事実。
料理には、作るひとの感情が入ってしまうのです。
そして、“感覚”が敏感なひとは、作り手の感情を、感じ取ってしまうのです。
どんなに視覚嗅覚味覚が“おいしい”と感じていても、悲しい人がつくる料理は、“かなしい”あじ?がする。
怒ってる人がつくる料理は、“雑、荒々しい”あじ?がする。
感覚なので、お伝えするのが難しい“あじ”です。
ときには、食べた後に具合が悪くなります。
残念なあじが加わっていると、どんな高級なお店でも、せっかくの料理が台無しなのです。
機械で作られたコンビニご飯の方がおいしく感じます。
まぁね、最近はコンビニご飯も、味がどんどん良くなってますけど!
実体験の方が分かりやすいかな?
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心が疲れている時に入った、宮崎牛のステーキ屋さんで癒された私は、感覚の研ぎ澄まされた、肉好きの友人を連れて行きました。
「おいしいねぇ~。のどかに育った牛って感じがするな。でも、個人的にはもっと荒々しい牛さんが好き」
なんと!
食材である牛さんの、育ち方までも分かってしまったのです。
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こんなこともありました。
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体もこころも疲れた私に、友人が手料理をつくってくれました。
調理も上手なのですがね、目の前に料理を置かれた途端に、目頭が熱くなりました。
料理から“愛”が伝わってくるんです。
わたしを気遣って、『こころを込めて作ってくれた』のが、感覚でわかるのです。
そして、食べ始めたら、“愛”が自分に入っていくのです。
作り手の想いをじぶんの心が受けとり、こころが震えて涙があふれそうになると、ノドが詰まってくるので
「いかんいかん、これではせっかくの美味しい料理が、ノドを通らないではないか」
自分を制し、切り換えて、おいしくいただきました。
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家庭料理、だからこその“愛”なのです。
どんなに高級な料亭でも、愛が満ちる感覚を抱いたことはありません。
それは恐らく、“お客様のため”という不特定多数への感情であって、『一品一品にまごころを込める』は、相当疲労するから、出来ないんじゃないかな?
“おいし~って食べてもらいたい”という、“こころ”が伝わってくることは、ありますけどね。
料理をつくるときには、これを意識してほしいな。
つくる前にひと呼吸
不快な感情は遠くに投げておいて
こころをきりかえて
ひとのために
じぶんのために
『おいしいなぁ~』
『疲れなんて吹っ飛ぶなぁ~』
『癒されるなぁ~』
喜んでくれる料理をつくること、に、専念(集中)してみては、いかがでしょう?
なにより
おいしいスパイス
それは
“愛”
ですよ