形にこだわる人々
この世にいる人は、みんな、魂の課題をもっています。
世の中には、こういう人もいます。
- 肩書 を重視するひと
- 年齢 を重視するひと
- 性別 を重視するひと
- 金銭 を重視するひと
これらを持つ人、持たない人によって、人への態度が変わるひと、というのは、多くおられます。
企業に勤めると、上の肩書を持つひとへは、ひれ伏したりおべんちゃらを言ったりしても、部下など目下の人をぞんざいに扱う人間もいます。
じぶんより若い人の話は聞かずに、さらに威圧的な態度をとる人間もいます。
女性蔑視の人間も見受けられます。
裕福そうな人には擦り寄り、身なりが貧しそうな人には、横柄な態度をとる人間もいます。
精神世界からすると-----?
この世に生きている人は、みんな同じように、魂の課題があるのです。
※『あたりまえの奇跡~なぜ生まれてきたの~』
“魂”の視点からすると、みな平等です。
学びに必要な環境(肩書、性別、生まれ育ち、など)を手に入れる仕組みになっているだけ。
生まれる都度変わるので、女性の時も男性の時も、裕福な時も貧しい時も、あるのです。
表面にとらわれて中身をみないのは、本質からはほど遠い、形だけを見ていることになってしまいます。
なんだかバランスが悪くないですか?
わたしは『真実が知りたい』=『本質が知りたい』が根っこにあるので、尚更そう感じてしまうのでしょうけどねぇ。
あなたは、どうですか?
どんなに崇められるような“先生”でも、おなじです。
慕っていたり、尊敬していたり、そんな方が自分にとって予想外の言動をすると「あの先生が...」「ひどい!裏切りだ!」
激怒したり、がっかりしたり...。そういう人もお見受けします。
先生も含めたみんなに『魂の課題』があるんです。
「そんな一面もあるんだねぇ」と、広い心で受け止めるのは、いかがでしょうね?
もちろん、「肩書を得るための努力をなさったんだな」など、敬意をはらうこと。
「歳を重ねたら筋力が落ちて、荷物重たいよね」とか、お年寄りに配慮すること。
そういったことは、大切なことだと思いますけどね。
態度が変わるひとと接してお困りの方は、態度が変わるひとが重視しているものを持っているひとを『上手にいかす』ことをしてみては、いかがでしょう。
じぶんが軽視されてしまってダメなら、重視されるひとを動かすのです。
だって、
『物事を自分の思い通りに動かしたい』
のがメインで
『自分を重視してほしい、認められたい』
わけではないでしょう?
わたしの経験では、それで丸く収まります。
“上手にいかされた”ひとも、悪くは思いません。
なぜなら、
形を重視するひとならば、
『重視されている存在だと他者から認められる』
形を重視しないひとならば、
『必要とされている人間であると認識できる』
『ひとの役に立てて、喜ばれるのがうれしい』
会社では、「じぶんを上手く使いなさい」という人も、いるくらいです。
態度が変わるひとから、軽視されてしまった、あなた。
怒ったり悲しんだり、していませんか?
そんなこと、おもわなくていいんですよ。
態度が変わるひとは、本質を見抜けていないのです。
まだ、その学びが終わっていないひとなのです。
「その課題をクリアしていないんだね」と、あたたかい目でみてあげませんか。
みずからの本質
魂をみがこう
ひとの本質
魂をみよう
みながおなじように
課題を越えるのに
必死なのです
あたたかい心でいよう
あたたかさを与えれば
あたたかさが与えられる
そう おもいませんか?