富士山に“ラップ”かけたの、だぁれ?
どなたか存じませぬが、ありがとうございます。
わたしは、富士山をみるのが大好きです。
こどもの頃、富士山の近くにドライブに行きました。
富士山の頂上をみあげたところ...。
「ねぇねぇ、富士山のてっぺんに乗ってる、丸い球って、なぁに?」
家族に尋ねました。返答は?
「え? なに? 丸い球って。なにもないよ」
まん丸い球がハッキリと見えているのに、「なにもない」と言われるのです。
「おかしな子だね~」
『いやいや、あんなにしっかり見えるのに。分からない方がおかしいよ?』
でも、「家族は違う場所を見ているのかなぁ」「じぶんの目の錯覚かなぁ」とも思っていました。
もしや、気象観測所のレーダーか?! 遠くから肉眼で見えたけどねぇ。
わたしの錯覚、幻覚かもしれません。
数十年後に“富士山噴火の可能性”がニュースで騒がれ、富士山を見たところ...。
「あれ? 富士山に“おはじき”がのっかってる」
子供の頃にみたような、まんまるではなくなっていました。
まさに、ガラスで作られたおはじきのような形の光。
鍋ブタの取っ手を取ったような形の光。
わたしには“フタ”がされているように感じました。
「どなたかが、噴火しないように、フタをして塞いでくださったのだろう」と。ありがたいねぇ~。
いやいや、わたしの錯覚、幻覚かもしれません。
数年前から、日本各地で火山が噴火したり、噴煙が出始めた頃、またしても富士山噴火説が話題にあがってきました。
そこで富士山を見たところ...。
「あれ? 富士山が“らっぷ”されてる」
以前よりも、薄くなって、富士山の真上だけでなく、山の途中まで光が覆っていました。
「やはり、どなたかが、噴火を抑えてくださっているのだろう」と。
ありがたやありがたや...。
いやいや、またしても、わたしの錯覚、幻覚かもしれません。
さてさて、これらは私の幻覚かもしれませんね。
でも、もしもホンモノならば?
もしや?!『フタをしたのは、あなたですか?』
「わたしには、そんな“ちから”はありません」
これ、多くの方がおっしゃると思います。
霊的なこと、目にみえない世界のことは、特にね。
でも、じつは、みなさん、お忘れになっているだけなんです。
『あたりまえの奇跡~なぜ生まれてきたの~』でお伝えした、記憶喪失。
もともと人間は、“魂”という霊そのもの。
肉体は、この世に生きるための乗り物です。
この乗り物、ちいさな粒子が集まって出来ているでしょう?
そうです、物理学、量子物理学ですね!
“念”“想念”というものは、肉体の粒子からすり抜けて、表に出てきます。
そして、多くの方の“想い”は、富士山のフタのような大きなエネルギーシールドを創りだすことも可能なんですよ~!
集団がおなじ場所で輪になって、想いをひとつにするのは、分かりやすいと思います。
ですが、べつに同じ場所でなくても、想いがいっしょならば?
可能でしょう?
ノストラダムスの大予言、若い頃のわたしには大好物でございました。
でも、“予言”とは、未来に起こる可能性があること。
占いと一緒で、「こんな未来ヤダ!」と、行動を変えれば、未来は変わる。
意識して気をつけていたら、未来が変わる。
未来は、『決まっていない』のです。
あたりまえのことなんだけど、ね。
イヤな未来を聞いて、ガックリしすぎちゃう人もいる。
「イヤだ~」「ダメだ~」と絶望だけを胸に、そのままの未来を引き寄せてしまう人もいる。
現実になってから、「言われてたの、忘れてた~」という人もいる。
イヤな未来を知ったとしても、『イヤな未来の可能性を知り、頭の隅におきながら、希望する未来を想像して、創造する』。
これが重要なんじゃないかなぁ。
『どんな未来がいいのかな?』
具体的に行動に移せるものは、実行すればいい。
でも、『手を出しようがないもの』は?
そこに意識をむけてみれば、いいんじゃないかな~。
「富士山、噴火しないで~! ええいっ! イメージのフタでおさえとけっ!」って、ね。
あら? “こころあたり”あったかな?