過去に負った傷
ふとした時に、よみがえるものですね...。
わたしは、5本指靴下を履いています。
ある朝、靴下を履いた所、小指が痛い。
「なんだろう?しもやけ??」ちょっと揉んでみたものの、痛さが違う。
靴下を脱いで確認したところ、小指が真っ青になって、腫れておりました。
じつは、前の日に足の小指をドアにぶつけていたのです。
「いったた~~~!なんで、体の中でも小さな部分なのに、こんなにも痛いんだ!」
しばらくすると、痛みが治まりましたので、その後は、普通に日常を過ごしました。
そう。ぶつけたことを、すっかり忘れていたのです!
「これって、なにかに似ていませんか?」
この問いかけだけで、察したあなた。さすがです!
このブログにも、慣れてきてくださったのかもしれませんね~、うれしいなぁ。ありがとう!
さて、似ているのはナニ??
それはね、“わすれてしまった、過去の傷”です。
ちいさな痛み、こころの傷。
もっと大きな出来事があったり、日常生活をおくって痛みが治まると、ひとは忘れてしまいます。
でもね、魂には『すべての記憶が刻まれている』のです。
表面的に忘れていても、なにかのきっかけで思い出します。思い出せなくても“過去の経験から、行動や感情が誘われる”ことがあるのです。
肉体の記憶もあります。
ヒーラーさん(エネルギーで治療する人)に、癒してもらうと...?
「あれ?この部分、過去にお怪我なさいましたか?」
なんて言われることがあります。
ヒーラーがどのように“感じる”のか、はたまた“天に映像をみせていただく”のか、は不明ですが。
「え?なにもないですけど...。あ~~~っ!思い出したっ!!!」
本人は、すっかり忘れておりました。
ちなみに、ひとさまの進行中のひどい痛みに手をかざすと、わたしは、かなり強いピリピリした電気治療のような痛みを手に感じます。
過去の傷は、もわん、とした違和感のようなものであったり、正常な箇所とのエネルギーの温度差を感じます。
魂の記憶と肉体の記憶。
顕在意識が忘れていても、ダブルに刻まれているわけです。
こりゃ、逃れられんわけです。
いまを生ききれなくなっちゃいますよね?
これを解決までもっていくのは、思いつく限りでは、二つあります。
ひとつ。
日々、痛みを負った都度、癒すこと。
「もう、痛くない。もう、怖くない。もう、大丈夫だよ」
傷口が癒えて、カサブタが自然と剝がれるような、イメージです。
ふたつ。
思い出したら、癒すこと。
ひとつ目と、やることは同じです。
ただし、もっと奥深い(根深い)ものかもしれませんので、その前にちょっと、感じてみると良いと思います。
「なんで、これを思い出したんだろう」
「あの時は、いたかったなぁ」
「いまでも、思い出すと、こころがザワつく」
深い時は、過去の痛みを、涙で洗い流すこともあるでしょう。
どうぞ、じぶんに許可してあげてください。
当時は、そんなに痛みを感じていなくても、こころの奥底では深かった、なんてことがあるものです。
傷を負った記憶は、意識して癒さないと、残ってしまうことがありますよ。
という、お話でございました。
...カサブタが取れたら
スッキリ!
しますでしょう?
そろそろ
スッキリしませんか?