一体なにが、ホントなの?
あなたは、真実に辿りつけるだろうか?
「なんで、生まれてきたの?」
「なんで、この家族のところにきたの?」
「なんで、こんな出来事が起きているの?」
「なんで、この人に出会ったの?」
「なんで、生きているの?」
3歳のころから、疑問を抱えておりました。
こころに問うても、答えがでないものもあります。
じぶんなりの答えが出ても、正解なのかどうかは、わかりません。
目に見えない真実を、事実に隠された真実を知りたかったのです。
答えを探るべく、ひとの話を聞いたり、読書をしたり、精神世界に触れていきました。
すると、さまざまな人たちが、それぞれに伝えておりました。
『因果応報(過去の転写)』
『過去におかした罪の償い』
『この世での使命(役割)がある』
『魂を磨くため』
『しあわせになるため』
などなど。
7歳の私が出会った言葉は、『因果応報』『罪の償い』。
過去にひとを斬りつけた事があれば、おなじ場所に傷を負ったり、病を抱えたりする、というものでした。
「じぶんは、誰かに、こんなにもヒドイことをしたのだろうか?
いまの自分は忘れているけれど、過去に生まれた時代によっては、あり得る。この世では、争いのない時代の方が短いのだから。
それならば、今の苦しみは、つらいけれども、やむを得ないことなんだ。
歯を食いしばって、罪を償おう」
あぁ、こりゃ、なんとも、この世自体が刑務所、ということではありませんか?
刑務所にいるのですからねぇ、シンドイですよねぇ。
青年期を過ぎた頃でしょうか、『しあわせになるため』という言葉に出会います。
「うっそぉ~。
感謝することは沢山あったけど、シンドイことだらけで、幸せなんて...一瞬?
まだまだ、先に幸せがあるってこと?あの世に行ってから、幸せになるってこと?」
斜に構えて、この言葉を半ば、否定しておりました。
現実は、しあわせと言うには程遠かったのです。
さてさて、いまの私は...?
すべての言葉が真実だと感じています。
「人生には、全てが含まれている」
前世を垣間見ますと、後悔や、やり残したこともあるのです。
「人生をもう一度、やりなおしたい」そのように思う人は、いまがまさに、やり直している最中かもしれませんよ?
じつは、望みが叶った幸せなときを、いま、生きているのです。
忘れてしまっていますが、ね!
わたしは、やり直すなんて面倒なことはしたくありませんが...
罪の償いが、自分が生まれてきた課題ならば、課題を乗り越えた先に待っているものは、よろこび=しあわせ、でしょう。
忘れてしまっていますが、ね!
あの世にかえったとき“しあわせになる”と、表現なさるかたもいます。
それも、たしかにあるでしょう。
魂の課題をクリアして、さらに聖なる領域(神さまに近い世界)に住めるわけですから。
でもさ、この世でも“しあわせ”になりたい、んだよねぇ~。ぜいたく?
過去を振り返りますと、シンドイ中にあっても、友人からのまごころや、会って話したりする時間が与えられておりました。
これは、“しあわせ”でした。
シンドイからこそ、ふと現れた“しあわせ”を強く感じるのです。
ただ、シンドイ時間が長く、幸せな時間が短い。時間という概念が生み出した苦しみの幻想。
“しあわせ”に焦点があうか、“しんどさ”に焦点があうか。
この視点の持ち方こそが、じぶんの生きる世界を変えていたのです。
あなたの意識が、住む世界を変えます。
すべてが真実ならば、どの世界に住みますか?
そりゃあ、しあわせな世界、でしょうとも!