やり残したこと
11月に入りました。
時が過ぎるのは、早いですね。
あと2か月で、2023年も幕を閉じます。
「今年は、ダイエットしよう」
「今年は、〇冊読書しよう」
「今年は、これに挑戦してみよう」
年の初めに“今年こそは”と、決めた目標はありますか?
出来てる???
じつは、そんなことを言いながら、私は年間の目標設定はしていません。ちゅど~ん!
社会人の頃は散々、会社でやらされました。
「個人の成長のため?余計なお世話じゃ!」と、当時のわたし。
上司や社長が好むような目標を考えるのもサービス業務、面倒でムダな時間。『通常業務をこなさせてくれ!』と、こころで叫んでおりました。
しかも、だ。
目標は口外せず、人知れず、コッソリやるのが好き。話した途端にヤル気が失せる。
そんな悪い癖もあります。
この年齢までには、こんな生活が出来るようになっていよう。
この年月までには、これを身につけておこう。クリアしよう。
わたしの目標は、そんな感じです。
幼少時代、病弱であった私は、寿命が人より短いことを覚悟していました。
そのため、幼い頃から“太く短く=中身の濃い人生”を歩むことを意識していたのです。それなのに、あぁそれなのに、天の策略にはまり、この世の期限を延長されてしまった...。のちのち、書くカモね。天から“これを書きましょう”があったら、ね。
いま、天に召されても、なにも心残りがありません。いや、正直なところ、計画になかった時間を持て余している。
やりたいことはやっている、から。
目の前の課題にも、ちゃんと向き合う、から。
ひとは、“死”を意識したときに、「これをやりたかった」と感じるのかもしれません。
命の期限があと5年と言われたら、どうしますか?1年後では?24時間後では?
ひとは、急逝を忘れて過ごしている。遠い所にあるものだと、どこかで思っている。
それは、幸せなことかもしれませんが、いざ時がやってくると、慌てふためくのです。
「こんなはずじゃなかった!」
いやぁ~、未来はわかりませんでしょう?
逆に、わたしのように、時間を持て余すことになるかもしれませんがね。
「こんなはずじゃなかった!」
いやぁ~、未来は変わるんですよ?
精神世界からすると、『ひとには、必要な時間が与えられている』。
すると、人間的には未完のモノがあったとしても、“今世では、ここまで”と、言われているワケです。
ながい、と感じても、どう過ごすかを試されている。
だけどさ、“やり残した”と本人が思うことは、この世への未練にもなり、後悔にもなり、来世への持越しにもなる可能性があります。
『与えられた時間を、いかに、生きるか』
これを少し、考えてみてほしいんだなぁ。
すると、やり残すことなんて、ほぼ、なくなるのではないかな?
『魂は、永遠』
だけど、今世での肉体や環境というのは、今世限りなのです。基本は、ね。
ならば、いま、なにを、しましょうか?
ね?
じぶんが決めた目標は、せっかくですから、達成しちゃいませんか?
今年は、まだ2か月もあるんだし、ね~!