出会いと別れ
別れはツラいものです。(四苦)八苦のひとつでもありますから当然でしょう。
また、この時期がやってきましたね。
毎年めぐってきますが、最近は世に漂うこころの痛みを受信している気がします。
あんまり、ひとには感化されないハズなのですけどね。地球の変化や宇宙の変化が感覚に影響しているのかな?
この世では、別れから逃れることは出来ません。
そもそも、期限付きの肉体に魂が入ることで、この世に存在できるのですから、この仕組みは必然なのですよ。
別れがあるのに、なぜ出会うのか?
ツラさを味わうために、出会うわけではない。※『あたりまえの奇跡~出会う人々~』
いえ、正確にはそのツラさが魂の成長に必要な経験なら、人生に仕組まれています。まぁ、不要な人はいないけどね。
別れは必ずあるものの、別れがメインの人生ではない。
別れの恐怖から、出会いを避けるのはやめましょう。ひとを愛することも恐れてはなりません。
なぜなら、別れが必然の世だからといって、ひとを拒否してしまうことは、この世に産まれた意味を否定するものだから。
傷つきたくないために、深い関係ではなく、浅い関係を望むのも、ズレている。
すばらしい存在に出会ったならば、なるべく無視する?いやいや、不自然でしょう。
なぜ出会わされたのか?
なぜ惹かれるのか?
無意識のあなたと天の計画が裏にあり、“なぜ”か出会っちゃうんだなぁ。
出会い拒否は、自分が立てた計画をつぶそうとしているってことですよ?
それでは、どうすればいいのか?
今このとき、一瞬一瞬を大事にするしかない。
わたしは、そのように感じます。
逃れることが出来ないのなら、よろこびをより強く感じるほうを選ぶ。
出会ったならば、おもいきり愛せばいい。
もちろん、その反動として、別れは強烈なものになるかもしれません。それでも、そのようにお伝えする理由があります。
『恐れを主体に生きるのか?』
『よろこびを主体に生きるのか?』
じぶんが歩みたい人生は、どちらでしょう。
恐れに引っ張られ、小さく小さく生きて、最期を迎えて振り返った時に、その人生に満足できるだろうか。
「あのとき、勇気を出しておけば良かったかな」そんな後悔をしないだろうか。
勇気を出して失敗したって(失敗はイヤだけど)、勇気を出さなかった後悔よりは、後悔が少ない気がしませんか?
淡々と書いているようですが、わたしは“別れ”に対して、強い悲しみを感じます。
前世の記憶を一部取り戻し、生まれ変わりがあることを知っていても、精神世界を知っていても、別れはさみしい。
逆に、前世まで覚えているからこそ、せつなく感じすぎてしまうのかもしれませんね。
それでも、よろこび主体の生き方をオススメするのです。
よろこび主体なら、人生が豊かになる。
のびのび、イキイキと、生きたいではありませんか♪
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すこしでも、こころが軽くなりますように...。
『この世の別れ』