初心忘るべからず
2024年も、あと数日で半分まできましたね。
年末になると「わたしは一体なにをしてきたのだろうか?」と、何もせずに1年があっという間に過ぎてしまった感覚になるのです。
日々、一生懸命に生きているのですがねぇ。
この中間地点で、今どこにいるのか、どこに向かっているのか、確認するのはどうでしょう?
確認しても、年末には思っちゃうけどね!あははっ
ただ、確認をするかしないかで、無意味に生きてしまった感は軽減できてると思うのです。
今いる場所、どこに向かっているのかが分からなければ、ナビにも設定できません。迷走は疲れちゃうよ...。
目的地の見直しもあるかもしれません。
「タコ焼き食べたいから、縁日に行く!」
縁日に到着して、タコ焼き屋さんを目指していたら、沢山のお店に目移り。
「あ!お好み焼き美味しそう!食べたい!」
さて、ここでどちらを選択するか、自分に問いかけます。
縁日に行くことを決めさせた“タコ焼き”を食べるのか、いま食べたくなった“お好み焼き”を食べるのか?“粉もの”食べたかったのね笑
ふたつ食べるという選択もありますね。
いま求めている感覚が“お好み焼き”なのか?
おなかが空いて惑わされただけなのか?
「あ!綿菓子美味しそう!食べたい!...あれ?まったく別物だなぁ」
それでは、“わたがし”やめますか?
生きていると天に『はめられた』と感じることが多々あります。
綿菓子を手に取らせるために、「タコ焼き食べに縁日に行く」と思わされた、なんてことが。
最終的に“満足”を得られる選択は、本人にしか分かりません。
「最初に思っていた“タコ焼き”にしておけばよかった」
「いま食べたい“綿菓子”にしておけばよかった」
こころに問わないと、後悔することもあります。
こころに問いても、後悔することはあります。
それでは、どちらが後悔が少ないでしょう?
生きているうちに慣れてきたと感じることも多々ありますね。
「いつもタコ焼きを選ぶから、今回もタコ焼きにする」
本当?いつもそうだからって、今回も同じ?
人生において、起こる出来事にはいつでも未熟者。
だからこそ初心を忘れず、こころに問う。
選択の結果が、失敗だって、いいんですけどね。
失敗って、その瞬間に評価しているだけで、長い目で見れば、じつは失敗なんてないのですから。
まぁ、わたしも落ち込むことはありますけども~。笑
『チャンスは何度でもある』
1度きりなんて、自ら設定かけないようにね!
「次こそは、○○を食べるぞ!」
希望は、生きる活力です。
ね?失敗じゃないでしょう?
今の場所を確認するために、過去を振り返る必要もあるかもしれません。
囚われるためではなく、どんな経験を積んだかを客観的に認識するため。
喉元を過ぎたなら、冷静に物事をみれるでしょう?
じぶんが成したことを確認すれば、褒めることも出来るので、活力も湧いてきますよ!
さて
どんな半年だったかな?
いま
どこにいるのかな?
これから
どんな半年を過ごすのかな?