良識を育てる
わたしは、常識よりも良識を育てることが大切だと思います。
常識とは、多くの人に共通する考え。
国によって、環境によって、集まる人々によって、変化します。
人間社会という集団において、非常識は爪弾きされる原因にもなりかねません。
だから、常識を知っておくことは大事だと思うのです。
良識とは、正しく優れた判断ができる考え。
時と場合によって、変化します。
正しさという表現は、人によって解釈が異なりますが、善悪でいうところの善い心。広く深く知(識)ること。
映画を見に行ったときのこと。
早く着き過ぎてしまい、チケット購入後に友人と入場口付近にいました。
係員さんに「ここにいればいいですか?」と聞いたところ、「決まっていません、お客様の自主行動です」とのこと。
誰もいない入場口で友人と会話しながら待ちました。
「入場です!」の声に気付いたら、後から来た隣の人の後ろにとても長い行列ができておりました。
「え~~~っっっ?!」
後から来た人は、私たちと隣の人のどちらが先に来たのか分からずに並んでしまったのでしょう。
「途中に入れてもらおう」そのように判断しました。
一番乗りなのに、何十人もの最後尾に並び直すという選択はしたくなかったのです。
「すみません、最初からいたので入れていただけますか」列に入ろうとすると、「割り込んでんじゃねぇよ」と声がかかりました。
後列の人が入れてくださいましたよ。
ありがとう!
ちなみに、場所を聞いた係員さんはチケットもぎりにいましたが、顔を伏せていらっしゃいました。
若かりし頃ですが、腹が立ちましたし、傷つきましたよ。
最初からいるのを見ていないフリをされるし、割り込みだと相手の正しさを強要された感じがしたのです。
もしも、こちらの正しさを主張したら?
争いになるでしょうねぇ。争いは好みません。
誰が正しいか、という話ではありません。
良識として中道をみいださなければ、争いがおこるってことです。
さて、第三者視点でみてみましょう。
隣にいた最前列の人は、並ぶという常識から外れた行動をとりましたね。
これは我欲のために、先にいた人の隣に並ぶという常識から外れた行動。
入場口で待つという常識には従っています。
「こちら並んでいますか?」と声をかけるのは、良識。
私たちは、並び直すのが常識でしょう。
事情を説明して間にいれてもらうのは、良識。
「割り込むな」と言った人は、並ぶという常識には沿っていまが、状況を把握していながらの苦言は、良識からは外れていますね?
「これが常識だ!」と主張する人には、頑なさを感じることもあります。
当人の思い込みだけで常識ではないこともあるのにね。
常識的行動をするかどうか、選択に迫られることも人生にはあります。
人生とは選択の連続ですからね。
真実を追求する中で、常識が正しくないこともあるでしょう。
常識に縛られることなく、広く深く本質をとらえ、善の心からの行動を選択したいものです。
正しさとは
ひとによって
違うもの
良識をもち
人と人が
争うことなく
思いやりのある
穏やかな世界
そんな世界がいいなぁ