苦行の中にも光はある
『生きるのがつらい』
『生きるのが苦しい』
そのような方々へのメッセージです。
苦行の中にいると
ときに
こころを閉ざし
暗闇に身を置くことがある
暗闇のなか
ひとすじの光がとどく
苦の原因を見つけた
(“気づき”がおきた)とき
成功体験
(成長の実感)ができたとき
ひとの愛
(やさしさ)をかんじたとき
『ありがたい』
感謝がわいてくる
『しあわせものだな』
恵みを感じることができる
それは苦行の中にさす
“ひかり”
こころの闇にさす
“ひかり”
ひととき
いやされ
あたたかさが
こころを包み込む
まだ大丈夫だ
まだがんばれる
そして再び
苦行の道を
あるきはじめるのだ
苦行の道を何十年も生きてきた
『たのしいことなどなくとも
生きられる
目の前の課題を
淡々とこなして
この世を去る瞬間まで
生きればいい
それだけだ』
そして
ひたすら
苦行の道を歩みつづけた
左手に持っていた盾は
重さに耐えきれず
捨てた
右手にもつ剣は
いつしか
自分をささえる杖になっていた
疲れ果て
自分をささえる剣とともに
崩れ落ちた
——–天の声がきこえた
『生きてください』
...ばかなことを
「このときのために
苦痛に耐えながら
生きてきたのだ
まだ“生きろ”というのか?
すでに“生きた”のだ
命の期限まであと数年
少しくらい早くても構わない
はやくもっていけ!!」
どんなに罵っても
もう天の声はきこえなかった
ただただ
あたたかく悲しげな空気に
つつみこまれた
命あるかぎり
生きねばならない
“いのちがある”のは
“生きる意味”があるのだ
苦痛により自ら命を絶つものは
魂だけの存在となることで
ひどいときは何百年も
増幅された苦痛のなかに
身をおきつづける
それが
自ら命を絶った“罰”なのだ
それをしるものは
自ら命を絶つことはできない
天は
他者に依頼するのも
自らが絶つのと等しく捉える
喜んで引き受ける他者がいようとも
他者を巻き込む分
その罪は重い
そして
他者もまた
“罪”と“罰”を背負うのだ
どう生きればいいのか
起き上がる気力もないままに考えた
苦行により
崩れ落ちた身体と剣
おなじ生き方は
もうしたくはない
苦行は、もう、たくさんだ
『苦行“は”?』
...そうか
おなじ修行ならば
『楽行』にすればいいのだ
こんなになるまで
こんな簡単なことに
何十年も気付かずに
苦行を続けた自分は
愚かだった
自分の愚かさに
口角があがった
すべての人間は
『しあわせになるため』
生きているのだ
苦行である必要はない
光の中で
光をかんじることもできる
光の中でも
あたたかさをかんじられる
おもいやりのこころをもち
感謝のこころがあればいい
悲しみ苦しみから解放され
ふりそそぐ
ひかりをかんじながら
ここちよく
生きよう
『生きてやろう』